Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

ほんとうの自分

人にきつく当たる時はどんな時。実は自分がほんとうは一番屈折している時であり、むしろ今自分を救う時。真の自己肯定とは、ここで肝心なのは突き詰めことではなく、相手を容認して冷静に平明に可能性を相手の中に見出すこと。ほんとうの自分がそこにいるの…

久しぶりにミサに与る

【主の公現のミサ】 とても、じんわり来る良いミサでした。久しぶり。 私が洗礼を受けて今年で20年目。奇跡でもなく驚くことでもない、何でもないことがきっかけの主と私の出会いでした。しかし、今も清々しくとても新鮮。皆それぞれ心に抱くことは自由で違…

リハビリ&ウォーキング

今日は地元の枡形山に行ってきました。 子供さんも一緒に気軽に登れる散歩コースです。麻痺はありませんが、平地での歩きとは違い、やはり足がもつれますね。鈍重って感じ。登りはまだまだです。でも辛くはなく、むしろ登る楽しさ喜びで、何だかこみ上げて来…

感情を表に出す

感情をぶつけ合う 前後の見境もなく互いを攻める そのように自分を晒すことも時に必要? それで信頼の絆が強く結ばればいいのですが 現実はそう甘くない ただし 自分に不満がなければ他人に対して寛容になれるということも真実 自分との和解ならば 巻き込ま…

「健勝」の意味深さ・ベクトル

今を生きる 今日、友人から言葉が届きました。「ご健勝をお祈りいたします」と。 確かに、今の私は先が見えない日一日一日ですが、それも、明日に向かう有向線分と見れば今日限りではなく、そのベクトルもさらに強められ明日へのエネルギーの源になります。…

復帰が見えてきました

退院から九日。再発より三週間。 リハビリは順調。 よかったら一度職場に出向いてみてはと、上司から声がかかりました。仕事復帰のための様子見もあるのでしょう。担当医からもO.K. で、さっき行ってきました。 ホーム長はじめ、みんな笑顔で迎えてくれまし…

答えは目の前の今

目の前の今 - 一日一日を終えて - 誰にへつらうことなく、今の日常の日々をつなげる。この自分をこのように維持していたい。 今の今を気づかう。先は見えない。病いの不安がないというと嘘になります。自分を晒すことは避けたい。有り体にいえば、どう繕って…

決めたこと

退院のごあいさつに替えて 自分を信じるのは、最後は自分ですから。そう言い切って私を励まし背中を押してくれた友人がいます(歳が二回り半違います)。 確かに、今こうしてメッセージを書いているのは薬のおかげです。薬抜きでは成り立たない私の現実。今…

脳梗塞って何?

日頃の自分の体の具合は分かっているつもりですが、分かっているようでわかっていません。自分が何者なのか何処に居てどうのようにしているのかと。地図上で自分の居場所を俯瞰することも必要です。 体の状態は偏差値のような、どれくらいの位置に自分がいる…

入院そして退院

お久しぶりです。 近しい人には伝えてましたが、先が見えないので、ここに書くのをためらいました。 きょう担当医から良い報告を知らされ、ここに皆さんに晴れてお伝え出来ることになりました。 病名は脳梗塞。9月の中頃に先ず発症ICU〜一般病棟9月末退院、…

無花果のコンポート

赤ワインで程よい甘さに引き締まった、無花果でコンポートを作った。作ることの愉しさ。おいしい!が嬉しさに変わった。 学びて思わざれば則ち罔し 思いて学ばざれば則ち殆あやうし どんなに広い知識を身につけても自分の頭で考えなければ理解はほど遠く ま…

時代は変わる?モノ消費・コト消費について

思いは言葉に 関わり合うモノ関わりあうコト 「在るもの(モノ)」と「得ること(コト)」の相違。 例えば、本はモノですが、読むコトを通してコンテンツ(内容)を取得するコトが出来、レコードやCDもモノですが、聴くコトを通して内容を楽しむコトが出来価…

特別は要らない・習慣を見直す

ふとしたからだの動き。電車待ちにスマホで時刻表を見る。階段を昇る。電車に乗って座る。家に帰り、食事をする。そのあと器や鍋を洗う。歯ブラシに手を伸ばす。時計をみる。腰掛けて本を手にする。本の頁を捲る。 意識的な動きとほぼ無意識な身体の反…

戦争を忘るまじ

思いは言葉にというが、果たして可能なのだろか。 わたしは平和の時に生まれた。 「戦争を忘るまじ わが母の名は雅子」 emmaus.hatenablog.jp

「まる」と「さんかく」と「雑感」という歌

花は花、人は人。いずれも他にはなれやしない。 しかし、自分のことは自分が一番知ってるようで自分の頭を掻く癖も知らない。ガラスのドアに首を右に傾げた男が写っている。なんと自分だ。いつからそんな姿勢だったのか知らなかった。あてにはできない。意外…

ホワイト・ソースでほんとに舌を巻いてしまったお話

今週のお題「最近あったちょっといいこと」 最近、友達と再会しました。何年ぶりでしょう。「幸い」の秘訣は、友情というものに深く関わっているのですね。なるほど。やっぱりと、思わず膝を叩いてしまいます。では、料理の「おいしさ」の秘訣、つまり料理を…

書き現さなかったことがら

今日は十二月一日。四年前、前立腺がんの放射線治療を始めた日です。あと一年再発しないと、ほぼ治ったとみなされるようです。 さて、それはそうと、、、 歴史が、一回性でありながら過去の探求と叙述に深く根ざしているように、ブログは自分自身のための備…

うますぎる・栗まろと祖母のきんとん

栗がたけなわを過ぎてもう一ヶ月。しかし、栗は栗で、甘露煮にした栗は今も美味しく味わうことができます。京都の和菓子鶴屋吉信の「栗まろ」があります。絶品の出来栄えの栗で、毎年この頃に買い求めています。 そして一方、昔わたしの生家には大きな栗の木…

あることとないこと

物・情報・言葉・人 毎日、朝起きて寝るまで、「モノ」に囲まれて生活しています。これらのことは適度に必要ですが、あまり「モノ」への依存度が高くなると困ったことになりかねません。 さて、ある日スマホを忘れて外出してしまい電車に乗ってから気づいた…

グラス・薄さの温もり

冷たいガラスなのに、思ってもいない温かさをふと感じる。 それも、より薄いクリスタルな透明さが光りの温もりとして直にこちらに伝わってくるという具合。 コロナ感染者が終息を受けて木村硝子店の直営店が再開したので、湯島に行ってきた。 www.kimuraglas…

富と貧しさと鴨

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう。コクトー『恐るべき子供たち』 そうであるならば、貧乏になった金持ちは残り少ない豊かさを誇示するのだろうか。どうだろう。慎ましさを…

冴えないごぼうをどうにか調理

タワシで泥を落として、ごぼう生齧りしたが、どういう訳か今日のごぼうの味が冴えない。もっさりして甘さがない。土は同じでも畑が違うだけでも時期がずれただけでも味が違うと言うが、どうなんだろう。よく見ると少し巣が出ている。 それならばと、、、、 …

蕪をさっそく齧ってみたらうまい・世界は面白く楽しい

早朝、外に出てしばらくすると指先が寒さでつーんとしてくる。その立冬を過ぎて、見るからに新鮮でおいしそうな白蕪が出回りはじめました。 蕪自体は「すずな」と呼ばれ春の七草に入っているくらいだから古くから親しまれてきたのだろう。大根とは形も違い小…

たたきごぼうの酢漬け

もともと自分の備忘録として始めたこのブログももう18年になろうとしている。あっという間に僕も72歳。こんなものかと、呆然とする暇はなく今日まできた。だから大した感慨はない。 母譲りというわけでもなく、小さな頃から料理好きでどういう訳かごぼうが好…

隔たり・近さと親しさ

人は遠くにいても近さを感じることがあります。また、近くにいるのに隔たりを感じてしまうこともあります。 このコロナ禍でホームの利用者の方がご家族との面会が出来なくなっています。 そんな折り、認知症が進んだAさんにふとスタッフが声をかけました。 -…

百合根が出回り始めた

旬の百合根がそろそろ出回りはじめた。生でしゃっきり茹でてほくほく。 合わせには何がいいのだろうと思いうかべて。辛子明太子をのっけてみた。日本酒とおもってみたが、意外や白ワインがあうようだ。 器は小石原の小鹿田焼の皿にしました。

道 <ある一つのグラウディング>

昨日から今日。今日から明日。自然の中、月の満ち欠け(上の写真にはよくみると朝の残月が写っています)といいい、日々様々なものが変化しています。僕の介護の現場のおいてもそうです。日毎の利用者の方々のADLも変化します。 一つのルーチンでも漫然と繰…

コスタリカ 「【アルトス・デル・アベホナル】ディビーノ・ニーニョ」 ハイロースト

一つのことに一層思いを深くすることがありますが、時が過ぎれば忘れることもあります。変化はつきもの。肝心なことはしっかりと心に留めていつもさっぱりとしていたいものです。 久しぶりにコスタリカのディビーノ・ニーニョを頂きました。 深煎りのコーヒ…

葉が落ちて分かってきたこと

寒さがましていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。今日少し冷え込んだ朝、山里を走りました。近くの枡形山のトレールジョグ。ふと森が明るくなっているの気づいたのです。そう夏に覆い茂っていた木の葉がすっかり枯れて葉を落としたからです。緑を…

今朝、ヒゲを剃ろうとおもったら剃刀が切れない

些細で具体的なことが人生を変えるという。人生は旅である。まさにその通り。 言うまでもなく、その人生とはぼくのことであって誰彼のことではない。 むろん道理を説く教えではなく、只の僕の実感。友だちとしてきみに話しをしている類いのことと理解してほ…