emmaus.hatenablog.jp

“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

京都の漬物屋の大藤の紙でブックカバーをつくった

座右の書というわけではないが、いつも持ち歩いてる本で、その安東次男の「花づとめ」の外装が傷んできた。 これ以上傷まないようにしようと思ってカバーを作ることにした。 京都の漬物屋の大藤の丈夫な紙袋で作った。これがそうだ。かなり傷んでいるがあと1…

白菜ロース

もう二月の終わりになると白菜の旬を過ぎてるが、なんとかまだその盛時の良さを味わえる。 それで、あの吉本隆明家の定番の「白菜ロース鍋」が今晩のメニュー。薬味は玉ねぎの擦り下ろし。鍋に白菜を重ねて、豚のロースを乗せて火が通るまでしばらく待つ。頃…

ジャン=エフラム・バウゼ

ドビュッシーの子供の領分の 「ゴリウォグのケーキウォーク」を最近、頓に良く聴く。 演奏家は引く手数多。 ピーター・ケイティン モーリーン・ヴォルク ペーター・レーゼン ヴァルター・ギーゼキング アルフレド・コルトー アルトゥーロ・ベネデッティ・ミ…

何もないところに変化は起きない -記憶のあやとり-

記憶を辿ろうにも以前のことが思い出せない。年とともに記憶が薄れて来たのだ。通常、認知症は短期記憶が衰え長期記憶は大丈夫なのだが。 記憶が薄れるなかでも、この時われわれはおのれの可能性を見出そうとする。年老いてもなお、それはけっして自分にたい…

思い違いが人生だ

思い違い どこにしまったのか分からなくなっていた庖丁が出てきた。それも出刃と柳刃の二本の庖丁。けっこう思い切って買った品だった。探しに探した挙げ句見つからずあきらめてしまった。どこに雲隠れしていたのか。いや、庖丁が隠れたのでもなければ庖丁の…

でっかい優しさに会ってきた

でっかくてゆたかなものに会ってきた。懐の深い優しさってこんなもの。河井寛次郎。「仕事が仕事をしてゐます」。おおきいな。ぽかぽかあったまった。 僕の70歳のお祝いにと妻が「京都日和」として計画してくれた小旅行に行ってきた。名所旧跡回りもせずにの…

「絵日記」

とある温泉場にいた。そこに水彩の棟方志功の絵日記があるのだ。絵はA3サイズくらいで表紙がふるっていて紫紺の絹糸で綴じてある。 豊かな色、絵の周りには棟方らしい生き生きとした躍るような字体。なんて書いてあるのか判読できない。ぱらぱら捲ると、あま…

有田・西山のコーヒーカップ

何気にとり出したコーヒーカップ。もう四十数年の歳月が経っている。江戸川の平井の時代、よくかよった可否茶舗 儚夢亭の店主Mさんからぼくの転任祝いに譲ってくれた有田西山の小ぶりなコーヒーカップ。まだあの頃は宝飾の仕事をやっている頃で、その腕が半…

フェイスブックを離陸してから

"); document.write(count2); document.write("日"); document.write("が経過しました。"); //--> クマのプーさんは、昼前のちょっとした時間が好きだ。というか、昼前に何かちょっとひと口つまむのが好きなんだ。 JavaScriptで遊ぶのも昼前のちょっとした時…

プー!もうすぐ11時。

window.alert('「プー!もうすぐ十一時だ。ちょうどうまく何かちょっとひと口つまむ時間にきたんだよ。」') クマのプーさんは、昼前のちょっとした時間が好きだ。JavaScriptで遊ぶのも昼前が好き。

ホット・ソイココアで「虔十公園林」

世界は堅い。私たちはその堅いものを噛まねばならない。現実は確かにそのように思う。しかし、その世界に対して強い力だけに支えられて私たちは生きてないようです。実際はそうではないものによって支えられていることが少なからずあります。たとえば昨日、…

虚室に白を生ず -想像をこえて-

先ごろの台風の爪痕は凄まじいもので、通常の想像をはるかにこえていた。昨日近くの多摩川の河川敷を歩いたが河川敷の土が50メートルにも流水で深く抉られていたを目のあたりにした。だが、もう流木もすっかり片付けられ川岸には子供たちののどかで明るい声…

ストレスのある局面 柔らかな感性

このところ、テニスUSオープンをTV観戦している。スポーツは勝つか負けるかの結果がはっきりしている。人間の行う社会行動の情動に主眼を置いても、戦いを見るという意味では大変興味深い。だが、やはりスポーツと戦争は違う。さらに、幸いと喜びは同じとこ…

えんどう豆のさやを剥きながら

梅雨にしては晴れ間が続いている。友人らと音楽の話しをしていた。どういう話の流れだっただろうか、「人生の最後に聴きたい曲は何か」という話題に行き着いた。人生の最後という言葉が日常を超えたフレームとして際立っていたが、居合わせたものはそれぞれ…

これもありだね 音楽ののりしろ

三日前の夜だったか、ふとiTunesコントロールを開いて、シャッフル・オンにし、リピートをすべてにした。シャッフルだから普段は聴かない曲がながれてきたが、しかし、これらはかつて一つひとつ自分がダウンロードした曲だ。謂わば、偶然は必然の結果だとい…

イクラと雲丹とモーツァルト

手をついて見よとや露の石ぼとけ (安東次男) 音と音楽の追想 河岸を歩いてみた。水が少ない。とどこおることない川瀬の音。その音が遠く対岸を過ぎ行く車の音に重なる。 道が河岸から逸れたので草叢に入る。一歩ごと草をかき分ける音がかえって静けさをま…

他者とともに

花が咲いている すぐ近くまで 虻の姿をした他者が 光をまとって飛んできている 私も あるとき 誰のための虻だっただろう あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない 吉野弘

ふたたびクマのプーさん展へ

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでやっている「クマのプーさん展」にまた行ってきた。 東京の展覧会閉幕まであと4日。来場者多さにびっくり。はじめは二月、今回で二度目。うれしさが初めの時の倍いじょう1。 見どころは原画 童話「クマのプーさん」、プー…

くろとメリーとラリーのこと

さまざまなものは変わってゆくが、いくつになっても思い出すのは、ウチにいた犬のくろとメリーとラリーのこと。 くろは、幼い頃のぼくのともだち、茣蓙を敷いた日向でよくいっしょに寝た雑魚寝の友。毛足の短い真っ黒の雑種。ぼくが生まれる前からすでにウチ…

白い退屈

小人閑居して不善をなす 差し当たりやることがない。でも時間がある。以前ならジョギング。しかし、今の体ではそれはできない。所在なく時間を埋める。またこれも有だ、今日の三じのお茶はお団子にしようかと思ってみた。 退屈のおそれ ぼくは子供の頃はのん…

遠くから近くから

世界の集落調査 建築家である原広司には部分が全体を超える1という強い確信があるようだ。そのライフワークである世界の集落調査をとおして受けた空間デザインに関する教えには教条的なものがないので、受け手のぼくらは建築という専門分野をこえて既成の枠…

エザイアス・ロイスナーを聴きながら

冬のあいだは見えていた多摩や丹沢の山並みが春霞で見えなくなってきた。しかし、見え始めたものもある。近くにある林床に咲く菫だ。その蕾が開き始めた。 朝の空気ははつらつとして、まだ寒さの残るこの頃である。 探しものをしていて家の奥の部屋の引き戸…

柚子大根

太く真っ白な大根がスーパーに並んでいた。その瑞々しさは糖をたっぷり含んだ甘さのある冬の大根そのもの。柚子がまだ冷凍庫にたくさんあるのを思い出し、これだと、柚子大根をつくることにした。 大根 人参 柚子 昆布 唐辛子 砂糖 塩 酢 材料の量はそれなり…

寒い日はあったかタソミで行こう

今日のような寒い日に打って付けのホットドリンク。ヒートテックなんて要らない。 タソミとは、我が家のみ通じる略語、温かいスペシャルターメリック豆乳のこと。 小さじ1杯のターメリック・パウダー 小さじ1杯の摩り下ろし生姜 豆乳180cc をカップに入れ電…

曠古の呉須

好きに理屈はない。好きの力を信じるという言葉があるが、そこまでそんなに自信を強めねばならないのかと思う。好きというのはそんなに片意地を張ることではないのだ。ともかくざっくばらん?に、染め付けの呉須の色が気に入って十年ちかく惹かれ続けた時期…

冬のマーチングバンド

幾層もの薄紅の雲の合間から夕陽が河岸を照らしていた。昼間に雪の降った翌日のことだった。 対岸の草はらには子供たちが一つに列をなし西に向かって立ちすくんでいた。 鴨は川面で動かず、辺りの空気はキーンと張りつめていた。 子どもらは凛々しく面をあげ…

へそと海と自分のその後

わたしたちを動かすもの 思いを言葉にしたからといっても、どうなるわけでもない。膝が痒くなって へそと海と自分を書いたのが10年前。 意図と効果 ⇒ こうしようという思いを果たせれば良いのだが 貫く意味 ⇒ そこに降り注ぎ覆うわけ(理由)の幾許かが 主題…

わくわくレシピ ・冬のカレー編

大胆でていねいなカレーメソッド 春夏秋冬、季節ごとのカレーがある。冬は刺激のないからだが温まる、里芋や蕪などの根菜類いっぱいのカレースープがたのしめる。 やはりカレーはスパイスが決め手だ。繊細の反対は粗暴だが大胆に。速さの反対はゆっくりだけ…

白菜ロース鍋

鍋の季節だ。陶芸ではない。鍋を囲むというと湯気立つ鍋料理のこと。我が国では「鍋」だけで通じるからおそれいる。言葉を省略するのが日本語といえど、これには外国の友達は目を白黒する。フライパンの季節というのはない。それほどわれわれの食生活に鍋(…

クリスマス・ミサ

久しぶりにミサに与った。二日早いクリスマス・ミサに。 温かいものが体のなかに降りてきた。大切なものが自分の中に生まれてくるこの感覚。 ある人はこれを「救い」というし、ある人は「あわれみ」ともいう。 またある人はキリスト教ではないが仏教では「涅…