Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

しみじみ

ほんとうの自分

人にきつく当たる時はどんな時。実は自分がほんとうは一番屈折している時であり、むしろ今自分を救う時。真の自己肯定とは、ここで肝心なのは突き詰めことではなく、相手を容認して冷静に平明に可能性を相手の中に見出すこと。ほんとうの自分がそこにいるの…

「健勝」の意味深さ・ベクトル

今を生きる 今日、友人から言葉が届きました。「ご健勝をお祈りいたします」と。 確かに、今の私は先が見えない日一日一日ですが、それも、明日に向かう有向線分と見れば今日限りではなく、そのベクトルもさらに強められ明日へのエネルギーの源になります。…

うますぎる・栗まろと祖母のきんとん

栗がたけなわを過ぎてもう一ヶ月。しかし、栗は栗で、甘露煮にした栗は今も美味しく味わうことができます。京都の和菓子鶴屋吉信の「栗まろ」があります。絶品の出来栄えの栗で、毎年この頃に買い求めています。 そして一方、昔わたしの生家には大きな栗の木…

隔たり・近さと親しさ

人は遠くにいても近さを感じることがあります。また、近くにいるのに隔たりを感じてしまうこともあります。 このコロナ禍でホームの利用者の方がご家族との面会が出来なくなっています。 そんな折り、認知症が進んだAさんにふとスタッフが声をかけました。 -…

コスタリカ 「【アルトス・デル・アベホナル】ディビーノ・ニーニョ」 ハイロースト

一つのことに一層思いを深くすることがありますが、時が過ぎれば忘れることもあります。変化はつきもの。肝心なことはしっかりと心に留めていつもさっぱりとしていたいものです。 久しぶりにコスタリカのディビーノ・ニーニョを頂きました。 深煎りのコーヒ…

秋は夕暮れ

日が暮れるのが早くなった。今の時期は五時半くらいに落ちるのか。それに芒が西日に映えて揺れて、萩の花も咲きいっそう秋の雰囲気を醸し出している。 これじゃ清少納言さんでなくても、誰でも普段の日常のなかでも秋の風情も、更に日の入りも目にする機会が…

なぜこんなに子どもの本を読むのが楽しいのか

本を読む楽しさを知ったのは、いつ頃だったのだろう。 小さい頃から体が弱かった。何かにつけてすぐ熱がでる子だった。そもそも免疫力(病原菌を抑制する力)がない身体だったのか。毎年秋から冬にかけて丹毒という特殊な病気に罹患していた。わたしの場合は…

ハルさんが遺したもの

emmaus.hatenablog.jp ハルさんが遠くに旅だって二年。よくハルさんのことを思い出す。目が不自由で寝たっきりだったが、いつも変わらぬハルさんの和やかさ。ハルさんは多くを語らない方だった。何を話したとか何を伝えたということより、表すことのできない…

夢に不要不急はない

街を歩こう 目的のない街歩き 気持ちが開く ふさわしい季節は五月だ 街を歩くゆえに街あり 人は歩くゆえに人なり ワクワクする めずらしく おもしろいものに出会う そんな夢を見た 夢に不要不急はない 夢に偽りはない

逞しくあれ 慎ましくあれ 健やかであれ

教えの意味ではなく 生き方でもない 人を咎めることではなく 敢えて人に伝えることでもない この手に受け止めようにも この水を両手でむすぶも こ ぼ れ お ち る 清冽で また温もりのある 終わりのないもの やはり言おう 自らのために ゆっくり かみしめな…

ユリ根と明太子

もう2月の半ばだが、ユリ根が八百屋にあった。ふるさとの辛子明太子があったので、和えてみた。いい組み合わせだ。 その料理は、母が好んで作っていたものだった。むろん、それは父の好みだったからだろう。母が逝き父が逝って20年。今になって合点が行った。

有田・西山のコーヒーカップ

何気なく棚から取り出したコーヒーカップ。もう四十数年の歳月が経っている。江戸川の平井の時代、よくかよった可否茶舗 儚夢亭。その店主Mさんがぼくの転任祝いに譲ってくれた有田西山の小ぶりなコーヒーカップ。まだ宝飾の仕事をやってた頃で、その腕が半…

くろとメリーとラリーのこと

さまざまなものは変わってゆくが、いくつになっても思い出すのは、ウチにいた犬のくろとメリーとラリーのこと。 くろは、幼い頃のぼくのともだち、茣蓙を敷いた日向でよくいっしょに寝た雑魚寝の友。毛足の短い真っ黒の雑種。ぼくが生まれる前からすでにウチ…

100年目の風景

▪️ハルさんのこと この世の支配者は「時」であって、(きみが)王であれ奴隷であれ、時がきみの命を吹き消すとき、あらゆる苦しみと喜びは夢のように、あるいは水のように消えてゆく。だから、王であれ奴隷であれ、良い思い出を遺す人こそ幸福なのだ。-フェ…

掛川フル(フルマラソン)にエントリー

しばらくネットを外していました。久しぶりに近しい処遠い処(ブログやHP)を回りました。 それで決めました。 http://d.hatena.ne.jp/future-human/20090107/1231300580の ヨッシーの掛川のフルマラソンにシンクロ(参加)します。 じっくりゆっくり歩くのも…

ボクがマックのマウスを首から下げた理由

これ、Macintosh Plusのマウス。中西さん(http://d.hatena.ne.jp/gintacat/20081225/1230207347)がマックとの恋の失意を語ってくれている。ふったのかふられたのかどっちだろう、どっちもどっち。でもかつてのリンゴの夢のかけらを語る中西さんのマックの…

亡羊記・トレイル・ラン

妹が逝ってしまって五日目の夕。 夜勤明け、わたしは 川沿いの18キロのトレイル・ランに出た。 きーんと張りつめた こがね色の大空を、 聴いている。きいている。 そのわたくしの裡に <大きな森の夜の背後>が聞こえた。 鹿は 森のはずれの夕日の中にじっと…

はじめて撮らえるときのように

とことんある主題を追うのではなく、掘り下げることでもなく。ナダラカに見えてくるものたち。こちらが行くのではなく、逃げることでもなくより放棄にも近い不在。だからあるイメージではない。脅しではない、いや脅しかもしれない。悟り?それって! たぶん…

思い出の器を取り出す

りんごジャム第二弾、コメント欄にrairakku6さんが「器(うつわ)にも興味を惹かれます。」と書かれて、ボクとしては思い出の品だからとても嬉しかった。それがこの器。 もう今から三十年ほど前、竹橋の近代美術館の工芸館の中で偶然知りあったオーストラリ…

より劣った必要にもとづくものを

心はそうだとしても体は弱い 音楽は何処かに向かう。人も何処かにむかう。・・・三十年間やってきたデザインの仕事を閉じた。そして、終末医療の介護に就いた。それから五ヶ月。今、明らかに疲れを感じている。60歳を前に人に関わる「手応えのある」仕事と…

きめて、始めてわかったこと

思うところあって、30余年やって来たデザインの仕事をたたんで、第二の仕事としてこの歳(五十七歳)にして新たな分野の職種、終末医療の現場で働き始めた。引っ越しをしたというのもそれが背景だった。今までに会社勤めの経験はいくつかあるが、長く自営だ…

殯の森・河瀬直美

観客を子供扱いしない映画監督 ! 監督+脚本+プロデュース:河瀬直美/撮影:中野英世/音楽:茂野雅道/美術:磯見俊裕河瀬直美の殯の森(もがりのもり)がカンヌ国際映画祭グランプリ受賞。コンペティション部門に正式ノミネートされていたが、どうなる…

すってんてんの巻

ボクの居る町の所轄の税務署は、車で10分の隣りのもう一つとなりの街にある。申告し納めると、頭は軽く財布も軽く身も軽い。すってんてん。何んもないのはいいもんだ。とは嘘!の嘘。帰りに漬け物屋に寄ってみた。「こんちは」。「あら、いらっしゃい」。…

ピエール神父逝去

フランス在のshibaさんの情報。ピエール神父は主の御許にいかれました。お祈りいたします。 L'ECUME DES JOURS ~日々の泡~ ピエール神父逝去

おもろさうし・琉球古謡

はっきりしない天気。そろそろ夏も終わり秋の気配の日。沖縄の友人から当地の野菜が送れてきた。まだまだ暑いそうだ。蒼い青い大海原に星の音さえ聞こえる南の島。古のうたびとのことを想ってみた。 ゑけ*1 上がる三日月 ゑけ 神ぎや金真弓 ゑけ 上がる赤星…

死者の書

初稿・死者の書作者:折口 信夫国書刊行会Amazonこの暑い時にこそ一冊の本をじっくり読み返すのもいいだろう。「死者の書」。「盆(盂蘭盆)とは、いつもの『私』から『ワタクシ』を取り去ることである」とある僧が話をしてくれた。なるほどだと悼むとはそういう…