emmaus.hatenablog.jp

“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

信仰

 道

行う イエスはいう。「私の教えは私のものではなく、私を遣わされたお方の教えである」と。「そのみ旨を行おうと望む者は、私の教えが神ものか、あるいは私自身が話しているのかをしるだろう」と。ヨハネ 7:16-17 その机をボクは鉛筆で行おう(なぞる)とす…

形相的像

エックハルトは言う。 この力(精神的形相のあるいは形相的「像」の容れものや宮)は魂と父との等しさを創り出すと。それは神性の流出を通じて創り出されると。そのことにおいて父はすべてのものをもろもろの像を子と聖霊にその源から注がれると。 確かにそ…

沈黙出来る?

アウグスティヌスは言う。 「人が神について語ることのできる最もすばらしいことは、内なる豊かな知恵に従って、沈黙することができるということである」と。

救いの問い・カール・ラーナー

人格的存在 >> 世界性 時間性 歴史性 しかしながら、人間は超越と自由を有する人格的存在として、同時にまた「世界的」、「時間的」、「歴史的」な存在である。そのような主張は、キリスト教の福音が人間に帰する諸前提を描写するために基本的なことである。…

幻を書き記せ

わたしは歩哨の部署につき 砦の上に立って見張り 神がわたしに何を語り わたしの訴えに何と答えられるのかを見よう。 主はわたしに答えて言われた。「幻を書き記せ。 走りながらでも読めるように 板の上にはっきりと記せ。 定められた時のために もうひとつ…

エックハルト説教集

小平小景エックハルト説教集 (岩波文庫)作者: エックハルト,田島照久出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1990/06/18メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 31回この商品を含むブログ (21件) を見るマイスター・エックハルトの「離脱」はボクらに〈神など知ること…

形相

アウグスティヌスは次のように語る。 神は精神とも「心」とも呼ばれるあの最初の魂の領域において、魂の有(う)と共に、ひとつの力をつくった。師たちはそれを精神的形相のあるいは形相的「像」(イデア)のいれものや宮と名づけていると。 それでエックハ…

 十字架の言葉

1Corinthians 1:18 For the word of the cross is foolishness to those who are dying, but to us who are saved it is the power of God. 十字架のみ言葉は 消えかかる(滅んでいく)者には愚かなことであるが、しかしながら与るわれわれにとってそれは神…

出会い

星を見るためには明かりを消さなければならない。 神様と出会うためには、自分中心の考えを捨てなければなりません。それは星を見るために明かりを消すのと同じです。 バレンタイン・デ・スーザ

 恵み・無への供与

「このようなものは運び出しなさいと」イエスは言う。まして他のものを得るために善き人になろうと願い神の栄光のために祈りという取引をしてはならないと。主と取引をしても期待は裏切られることになると。 だれかが神殿ですなわちわたしたちの魂の内で語ろ…

 一なるもの 離脱

わたしがそこに見つけたのは、純粋な離脱はあらゆる徳を凌ぐということに他ならなかった。なぜならば、他のすべての徳が被造物に対して何らかの結びつきをもっているのに対して、離脱はあらゆる被造物から解き放たれているからである。だからこそ、わたした…

Cred

I asked God for strength, that I might achieve. I was made weak, that I might learn humbly to obey... I asked for health, that I might do great things. I was given infirmity, that I might do better things...I asked for riches, that I might…

INDIFFERENE

放蕩息子のもの語りが、愛されることを望まない者についてのはなしではない、と言っても、私は容易に承知しないであろう。かれが子供だった時、かれの家ではすべてのものはかれを愛していた。かれは成長した。かれは他のことを知らず、子どもである間は、か…

魂の階層

魂の生において[・・・]「階層」の観念ほど重要なものはない。最上層部では真であっても下層部では偽りである。その逆もある。よって、最上層部の秘奥においてのみ、神への愛と隣人愛は同一なのである。より下層に位置する意識の次元では、神への真正な愛は…

プロメテ

《プロメテ》 シモーヌ・ヴェイユ孤独の獰猛なけだものが、 腹の中で絶え間なくその身を責めさいなむもののために、むしばまれ、 疲労にふるえながら走り回っている、 死によってしか逃れられない飢えから逃れようとして。 そのけだものは暗い森を横切って食…

ほんとうとまちがい

私には、キリスト教をほんとうだと信じることによってまちがうよりも、まちがった上で、キリスト教がほんとうであることを発見するほうが、ずっと恐ろしいだろう。パスカル「パンセ」241

神と必然/シモーヌ・ヴェイユ

これだけはいえます。わたしはこれまで一度たりとも、いかなる瞬間においても、神を探し求めたことはないと。おそらくはそのせいで、もちろんあまりに主観的といえばそれまですが、神を探し求めるという表現は好きではなく、あまつさえまちがった表現である…

実存遂行と内省

この入門(「キリスト教とは何か」)は、事柄の性格から見て、一つの実験である。・・・これはキリスト者であり、キリスト者たらんとする者にとって、決して恣意的な神学的な諸問題ではない。ここでは、自分自身の存在の全体がかかっているのである。これは…

救いにおける人間の主体

「救い」の理解のための神学的かつ人間論的な出発点 すでに述べたように、人間は自由な主体として自分自身に責任を負うものである。また、人間は自分の本来的な自由行為、原初的に唯一の自由行為、自分の人間的実存全体にかかわる自由行為の対象として、自分…

旅程の横断

わたしたちは時間と空間の無限の厚みを横断せねばならない。だが、まずは神がわたしたちのものに来るために横断する。まず一歩をふみだすのは神なのだ。このとき、愛は、もし可能ならば、さらに大きくなる。愛は乗りこえるべき隔たりの大きさに対応する。・…

時間

時間とは人間にとってもっとも深刻かつ悲劇的な気がかりである。唯一の悲劇的な気がかりといってもよい。想像しうる悲劇のすべては、時間の経過という唯一無二の悲劇へと逢着する。時間はまたあらゆる隷属性の源泉である。パスカルが深く感じとっていたよう…

ミセレーレ

ジョルジュ・ルオーの版画「ミセレーレ(MISERERE)」作品[01]「神よ、わたしを憐れんでください、御慈しみをもって」と題された版画集の冒頭には「MISERERE」が刻印されている。 この版画「ミセレーレ」はルオー40歳代前半〜56歳に至る15年間にわたり制作さ…

贈り与えられたもの

時間とは究極的に言って、人間が自由に、自己の在り方を決定的に決めるための場である」(カール・ラーナー) ボクに与えられた唯一で、また誰にでも与えられている唯一のもの。与えられたものが場というならばその場をつねに意識しよう。

賛美

ハレルヤとはヘブル語で「主なる神を賛美せよ」と言う意味である。賛美するということは、神に対してのわたしの生き方、つまり私の自由に於ける一つの決断である。