Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

思う

戦争を忘るまじ

思いは言葉にというが、果たして可能なのだろか。 わたしは平和の時に生まれた。 「戦争を忘るまじ わが母の名は雅子」 emmaus.hatenablog.jp

「まる」と「さんかく」と「雑感」という歌

花は花、人は人。いずれも他にはなれやしない。 しかし、自分のことは自分が一番知ってるようで自分の頭を掻く癖も知らない。ガラスのドアに首を右に傾げた男が写っている。なんと自分だ。いつからそんな姿勢だったのか知らなかった。あてにはできない。意外…

自分のことは自分が一番よく知っている。それ、ほんと?

自分のことは自分が一番よく知っている。それ、ほんと? あたまを直ぐ掻いたり、何かにつけて顎に手を当てる身振りや癖はある友人の指摘で初めて分かった。自分のことは、自分よりも他人の方がよく分かっているのかも知れない。 が一方、、、。 三日前、雨に…

些細なことだけど

ケア・スキル 当時 取るに足らないと思って見過ごしていたことが 後になって 問題解決の重要な手掛かりだと気づくことが往々にしてあります ケアにおいて あらゆる点に注意するのではなく ⭐︎(どうやら 動作(所作)には幾つかの重要なポイントがあって その…

たどり着いた静けさ

世の中には、生きていく上での術(すべ)を熟知している人がいる。知るというより、むしろ術(すべ)を身につけたというように思われる人である。 ある時、人生の大先輩の方とお茶をご一緒する機会があった。大正生まれであった。特別なお話を聞いたのでも、…

内臓の感受性が鈍くては世界は感知できない -私たちの行動は内臓の声に突き動かされる-

今日の話は「太かったり、染みたり、命じたり、冷やしたり、潰したり、抜かしたりするものなーんだ」というお話☺️ ですが、言葉遊びではありません。興味深い「こころ」のお話です。 <こころ>とわたしたちが呼んでいるものは内臓のうごきとむすびついたある…

ハルさんが遺したもの

emmaus.hatenablog.jp ハルさんが遠くに旅だって二年。よくハルさんのことを思い出す。目が不自由で寝たっきりだったが、いつも変わらぬハルさんの和やかさ。ハルさんは多くを語らない方だった。何を話したとか何を伝えたということより、表すことのできない…

京の人より香菫の一束を贈り来しけるを -あるいは挑むこと-

桜の季節はとうに過ぎさり、その林床に咲く菫は見渡すと、いまだ日当たりのよい草地や道端の角に勢いよく咲いている。成長というより、ただそこに花が「在る」とう意味は大きい。 挑むことがないと成長はない。若い頃とある大学祭のテーマに「挑戦は徒労か?…

名づけられたもの

「ー」「呼ばれています」「イエズス・キリストへ」合唱「水のいのち」などの歌を作詞をした詩人高野喜久雄氏の言葉です。 名づけられたものはつねに結ばれつつそれぞれの名を超えようとします。「結ぶ」ことは「共に・生まれる」こと、聖なるものに向かって…

思いがけない贈り物のような美しさの話

時は流れ、あるものは滅び、またあるものは剥がれ崩れ落ちる。ものは朽ちるが、刻まれた名は残る。 わたしの祖父は、「美」という文字について、広大なところに羊たちが佇む風景を表していると、その意味深さを称したそうである。これは、父を経て母から聞い…

ホット・ソイココアで「虔十公園林」

世界は堅い。私たちはその堅いものを噛まねばならない。現実は確かにそのように思う。しかし、その世界に対して強い力だけに支えられて私たちは生きてないようです。実際はそうではないものによって支えられていることが少なからずあります。たとえば昨日、…

へそと海と自分のその後

わたしたちを動かすもの 思いを言葉にしたからといっても、どうなるわけでもない。膝が痒くなって へそと海と自分を書いたのが10年前。 意図と効果 ⇒ こうしようという思いを果たせれば良いのだが 貫く意味 ⇒ そこに降り注ぎ覆うわけ(理由)の幾許かが 主題…

父の遺言 -曾祖母-

父の実母は父を生んで産後の肥立(産後の回復)が悪く、しばらくして亡くなった。それで父の祖母(曽祖母)が母親がわりとして父をきびしく育てたという。ぼくの家は代々からの割烹旅館で、その曾祖母は女将としてまわりから筑後の三羽ガラスとまで呼ばれた…

100年目の風景

▪️ハルさんのこと この世の支配者は「時」であって、(きみが)王であれ奴隷であれ、時がきみの命を吹き消すとき、あらゆる苦しみと喜びは夢のように、あるいは水のように消えてゆく。だから、王であれ奴隷であれ、良い思い出を遺す人こそ幸福なのだ。-フェ…

あることの讃歌-火は石の中に眠っている-

汝<Thou>に出会う わたしたちが道を歩いていて、向こうからこちらに歩いて来たひとりの人に出会うとき、わたしたちが知っているのはわたしたちの歩いて来た道のりだけであって、相手の歩いて来た道のりではない。ただわたしたちがその相手と出会うときにだけ、彼の</thou>…

ある春の朝

親許を出たのが二十歳の時。もうこれからは家も生まれも育ちもない、自分が自分の力でやる。その気持ちでワクワクした。恐いものはなかった。太陽が眩しかった。 だが、あの眩しさは太陽の光ではなく、親の眩しさだったのだと50年経って分かった。 今あらた…

森が明るくなってきみのメールが届いた

山里を走った。森が明るくなった。木の葉が昨夜の風で落ちたからだ。ところで近ごろ、メールが新鮮で面白い。この広大な世界において。この木の葉の落ちる此処から遠くまた遠い海のその果てに確実にきみがいる。そのきみというあなたに。この山里からこのぼ…

二つのエピグラフ

軽やかな鈴の音が聞こえる。あの向こうの電話機からなのだろう。夜も更けているがパチパチと焚き火が燃えさかり語り合う声が小さく響いている。しばしの静寂をぬってこちらに人影が現れた。受話器をとって「はい、はい」とだけ受け答えて机に何かをぴたりと…

与えられたもの

開け放った店の扉から遠くの街のざわめきを風が路地裏の澱んだ匂いともに運んでくる。日の落ちるのが早くなった。天井の暗がりが空にもつながるのか小さな店に似合いの裸電球がゆるやかに照らしている。長めの厚いカウンターは糠で磨きあげられているのだろ…

もの言わぬ花のような木のような方たちと

理想と現実 - 記憶の彼方へに応えてくしくも、わたくしもネットにはまったく無縁の人びとのことを思っていた。その方たちとは、わたくしの仕事の終末医療でベットで横になったままの、「時」を語るよりも「時」に居合わすだけの、もの言わぬ花のような木のような…

風太郎と水鳥

ジョグの途中で川の際から上空に向かって一斉に水鳥が飛び立った(2009年02月08日06時23分16秒)。その気配は前からあった。むしろ分っていたというべきか。だがこんなかたちで。そのワンショット。ジョグから走りに変えた。風がきりきりからだに痛い。 そし…

掛川フル(フルマラソン)にエントリー

しばらくネットを外していました。久しぶりに近しい処遠い処(ブログやHP)を回りました。 それで決めました。 http://d.hatena.ne.jp/future-human/20090107/1231300580の ヨッシーの掛川のフルマラソンにシンクロ(参加)します。 じっくりゆっくり歩くのも…

みんなこうして大きくなった

こうた、さくら、はるか、さおり あさと、たかお、えいすけ、しほ かわいいひよこの子。 まーちゃんはどこだ。 マミちゃんはどこ。 こんな時が誰もあった。 大きくなって 一人前の顔してジョグしてるのがおかしいくらい 一人で大きくなった人は誰もない。 幼…

聴くこと・時の受容

駅前でスピーカー越しに何かを訴えている人がいる。それに立ち止まり耳を傾ける人。素通りする人。語ることは不特定の他者を描くことでも成立するが、しかし聴くことは発話す一人のその人自身を認めないと成り立たない。 先月末、わたくしの義理の妹が逝って…

見えない波動

夜勤の明けの日、身も心もすっからかんで、石のようにただ爆睡することがある。目覚めたら午前三時だ。昼に眠りに就いてまるまる15時間寝っぱなし。妻は夕食の時もわたしをそのままに起こさなかったのだろう。意識は中心にあってくり返しを嫌う。まったくだ…

緩趨華圃

この歳になったら日常のビックリやドッキリはあっても、そうそう後に残ることはない。だが違った。この前SJC=ジョギングの途中、もう十日前の金城さんのエントリー2008-11-04が体に妙に突き刺さる。以前から三浦梅園の「欲識華 與先繙華譜 急趨華圃」には感じ…

走りと歩きは楽しく

※何回か今日の朝から携帯ではてなにエントリーしてもアップする日付がうまく入力出来ない。PCから修正してやっとうまくいった。一昨日が当直。で昨日がその夜勤明けで帰宅後に石のように爆睡。目覚めると二時間位の睡眠だったが体がとても軽いから走りに出…

コサギがいた

幸いと喜びは同じところにはないが、今日もジョグに出た。すると川岸にコサギをみつけた。 あの時のコサギではない。いやあのコサギかもしれない。なぜそう思うのだろう。考えてみた。20070904と日付があるがもうずっと過ぎ去った昔のことのようだ。http://d…

充実

言葉が出ないくらい充実している。決してスピードが出たのでなくて。何と云っていいのか。走りを続けてきてよかったというべきか。生活と言葉。あるいは走りと生活。走りと言葉。それらが一体としてピタリと焦点があったという感じ。そして走りの途中とぎれ…

風に靡かせながら

勇気というものは、青年にだけが保持するものだろうか? 自らをふるい起こし、それを発揮するのは若者だけでだろうか。無論そうではない。老成にある者とて常に既知と未知の十字路の途上であるのだ。志向の未開の領野にある者なら、かつて知り得ないような新…