emmaus.hatenablog.jp

“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

思う

わたし・時間

かつてのワタシ これからの私 今のわたし 先ずは主が渉られた それを今のわたしが返すのだ 永遠はあなたのものだから 主は今のわたしが語ることを知らないはずはない 時間の内に起こることを与えたあなたは なほわたしたちの今・現在(時間性)において見ら…

 現実

やはりつながれていること - Emmaus’はこの現実においてしかあり得ないのだ それもその水の流れの勢いも速さもボクらを超越した世界が何よりボクら自身の意識のもとに立ち現れるということにおいてこそ意味をもつ たとえそれが仮想というものから次に実在の…

つながれていること

しかし だからこそ確かにボクらが呼ぶのではなく〈鋭さそのもの〉-あなた-が呼ぶのだということをも了解した 何故ならそれはボクらの意識が新たになるというよりも ボクらのもつもの?!を越えて その情景が新たに立ち現れたと言ったほうが適切であったから…

立ち現れる

風に靡く草がほどなくして静まり返った時こそその印象を日ごと新たにして まさに感覚質というべきものでしかないものとして 意識に立ち現れてきた それを機会にしばらくボクらは言葉を失った秋暑 - Emmaus’ だがある日川の下に下りていったら急峻な流れに逢…

あなたはあなた、それでいい。

The important book世にある児童書。子供向けなのにその実、大人に受けているという類の本。「だがなぁ 何ともビミョウだな」とボクは思う。どこかで大人が失ってしまったものってある。子供の時の郷愁、それってただ今の大人の慰みのような気がする。それは…

道のりへの思惟

道があり この道はわが道ということも言えるのだろう わたし独りなら・・・ それにもまして ある人が向こうからやって来たとしても わたしたちの道などは言い難い 知っているのはただ自らの道のりだけであって 相手の道のりではない それがただの通りすがり…

根源語

根源語の構造 二つの根源語*1がある。 根源語とは単独語ではなく、対応語*2である。 〈われ-なんじ〉という対応語 〈われ-それ〉という対応語 には彼と彼女の何れの代入をしても根元語には変化はない。 従って人間の〈われ〉も二つとなる。 人間の態度は二つ…

清貧=時間性

だけど、むろん本来ありうる人の「善さ」といったところで、それが自らから出るものではない・・・ということは、人の中であるいは自然の中でよく額に汗し体を動かして「働く」ということと、それに伴う時間の中でそのほんとうの確かさをボクらに示してくれ…

一緒に在る

〜森有正「流れのほとりにて」から〜 人間が美しい人格とともに、避けることのできない欠点や暗さを終わりまでもちつづけることは、それ自体偉大なことではないだろうか。これも亦その人間そのものの姿なのだから。私の存在が示す、僕にとって、もっとも大切…

解かれる憐れみ

不幸 飢えて死に瀕する、その路傍に横たわる不幸な人間。神は慈悲(Misericorde)を抱くが、パンを送りとどけることはできない。その場に居合わせるわたしはさいわいにも神でない。わたしは一片のパンを与えることができる。これが神にたいするわたしの唯一…

なぞる招き

ボクが呼ぶのか。あなた「あの方」が呼ぶのか。それは分からない。 眼を閉じて鉛筆の先で机をなぞってみてごらん ボクと鉛筆 ボクの躰につたわる鉛筆 ボクらのために果たす鉛筆 そうさボク自身の有り様でないのだ そうして ボクらのためにでなくそのボクらを…

月をさす指/目覚め

月は今は出ているだろうか。その時そう思うだけでなくあなたは何よりもその時外に出て確かめてみるだろうか。ある朝わたしは空を仰いで西に沈む頃までを眺めていた。真実はただ実際に生きて経験すること。そう出来るだけ。そこにいるのか。いないのか。だが…

沈黙出来る?

アウグスティヌスは言う。 「人が神について語ることのできる最もすばらしいことは、内なる豊かな知恵に従って、沈黙することができるということである」と。

 自己

わたしという自己は自己の総体として複雑な綱渡りをしているのではないか。かろうじて自己の部位の相互作用を基点に自己の維持が通常は円滑に保たれているのではないか。・・・それを越えるものの光に照らされる。 http://homepage3.nifty.com/riverine/pete…

 時間 

人知れぬある魂。その魂をとらえるもの。「魂をとらえ、わがものにするために、神は時間と空間の無限の厚みを横断し、力を使いはたす」。時間と重力。そして家。・・・。2005-01-07 - Emmaus’

 一なるもの 離脱

わたしがそこに見つけたのは、純粋な離脱はあらゆる徳を凌ぐということに他ならなかった。なぜならば、他のすべての徳が被造物に対して何らかの結びつきをもっているのに対して、離脱はあらゆる被造物から解き放たれているからである。だからこそ、わたした…

照合

そんなふうで会田綱雄のダラダラのニチジョウがくねくねとした深沈の繋がりをもって、ポール・ヴァレリーの失はれた酒に行き着くのは不思議と容易なことと思えてくるのもどうしたものだろうか。会田のそれとヴァレリーのそれがそうだと謂うにはやはりムリが…

心通じあうこと

人間の土地 (新潮文庫)作者: サン=テグジュペリ,堀口大学出版社/メーカー: 新潮社発売日: 1955/04/12メディア: 文庫購入: 27人 クリック: 223回この商品を含むブログ (200件) を見る ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は大地が人…

魂の照応

一人の人間が、その人の魂で素直に自然と照応する時、そこに他の誰も真似をすることのできない創造が生まれるのだ。僕たちはそれを重んじなければいけない。そしてその創造されたものは自然に根を下ろしながら、それを高くこえて、人間の魂のヴィジオンにま…

プロメテ

《プロメテ》 シモーヌ・ヴェイユ孤独の獰猛なけだものが、 腹の中で絶え間なくその身を責めさいなむもののために、むしばまれ、 疲労にふるえながら走り回っている、 死によってしか逃れられない飢えから逃れようとして。 そのけだものは暗い森を横切って食…

ほんとうとまちがい

私には、キリスト教をほんとうだと信じることによってまちがうよりも、まちがった上で、キリスト教がほんとうであることを発見するほうが、ずっと恐ろしいだろう。パスカル「パンセ」241

二重の無限性

マキシマムにおける無限性とミニマムにおける無限性事物の周囲をつつむよりは、その中心へ達するほうがはるかに可能だと、われわれはおのずと考えている。世界の目に見える広がり(大きいもの)は、目に見えてわれわれを超越する。しかし、小さいものは、そ…

実存遂行と内省

この入門(「キリスト教とは何か」)は、事柄の性格から見て、一つの実験である。・・・これはキリスト者であり、キリスト者たらんとする者にとって、決して恣意的な神学的な諸問題ではない。ここでは、自分自身の存在の全体がかかっているのである。これは…

時間

時間とは人間にとってもっとも深刻かつ悲劇的な気がかりである。唯一の悲劇的な気がかりといってもよい。想像しうる悲劇のすべては、時間の経過という唯一無二の悲劇へと逢着する。時間はまたあらゆる隷属性の源泉である。パスカルが深く感じとっていたよう…

考える葦

人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するに及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すも…

パンセ

『パンセ』は、1670年、フランスのパリで刊行された。その完全な題名は、『死後、書類の中から見いだされた、宗教及びその他の若干の主題に関するパスカル氏のパンセ』。 つまりは、キリスト教関連にまつわるパスカル(1623-1662)の随想遺稿集である。当時…

贈り与えられたもの

時間とは究極的に言って、人間が自由に、自己の在り方を決定的に決めるための場である」(カール・ラーナー) ボクに与えられた唯一で、また誰にでも与えられている唯一のもの。与えられたものが場というならばその場をつねに意識しよう。