Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

記憶

久しぶりにミサに与る

【主の公現のミサ】 とても、じんわり来る良いミサでした。久しぶり。 私が洗礼を受けて今年で20年目。奇跡でもなく驚くことでもない、何でもないことがきっかけの主と私の出会いでした。しかし、今も清々しくとても新鮮。皆それぞれ心に抱くことは自由で違…

うますぎる・栗まろと祖母のきんとん

栗がたけなわを過ぎてもう一ヶ月。しかし、栗は栗で、甘露煮にした栗は今も美味しく味わうことができます。京都の和菓子鶴屋吉信の「栗まろ」があります。絶品の出来栄えの栗で、毎年この頃に買い求めています。 そして一方、昔わたしの生家には大きな栗の木…

コスタリカ 「【アルトス・デル・アベホナル】ディビーノ・ニーニョ」 ハイロースト

一つのことに一層思いを深くすることがありますが、時が過ぎれば忘れることもあります。変化はつきもの。肝心なことはしっかりと心に留めていつもさっぱりとしていたいものです。 久しぶりにコスタリカのディビーノ・ニーニョを頂きました。 深煎りのコーヒ…

十三夜を前にして

十三夜*1を前倒しに、、、 今日はお月見団子をいただきました。「さいわい」という以外にあらわす言葉が見つかりません。兎の印がかわいすぎ。 *1:旧暦九月十三日、今年2021年は10/18

ウビ・カリタスと直太朗の《夏の終わり》

「い・つ・く・し・みって何?」と子どもから訊かれたら、どう答えますか?かつて、ザビエルがキリスト教を日本で宣教をはじめた折、「愛」ということが日本人に受け入れられ難いため、ザビエルは「愛」ということを「大切にすること、大事にすること」とし…

ハルさんが遺したもの

emmaus.hatenablog.jp ハルさんが遠くに旅だって二年。よくハルさんのことを思い出す。目が不自由で寝たっきりだったが、いつも変わらぬハルさんの和やかさ。ハルさんは多くを語らない方だった。何を話したとか何を伝えたということより、表すことのできない…

iMoveiでフォトビデオをつくってみました

川の近くに住んでいて、よく川岸をふだんから歩きます。以前は走っていました。フルマラソンもやっていました。 その時々撮りたい思ったものをただ撮ってきました。いろんなものがあります。 気づくと、やはり川や水をよく写しています。今まであまり意識し…

静けさという新しい選択

新しいものに輝きを感じる時 四月に入り職場に介護職の新人がやってきた。ピカピカして輝いている。僕の孫くらいの歳だ。若いっていい。志をつらぬいてほしい。 舊いものに輝きを感じる時 道具は使いなれた馴染みのものがいい。だが何は廃れる。お決まりの原…

ユリ根と明太子

もう2月の半ばだが、ユリ根が八百屋にあった。ふるさとの辛子明太子があったので、和えてみた。いい組み合わせだ。 その料理は、母が好んで作っていたものだった。むろん、それは父の好みだったからだろう。母が逝き父が逝って20年。今になって合点が行った。

何もないところに変化は起きない -記憶のあやとり-

記憶を辿ろうにも以前のことが思い出せない。年とともに記憶が薄れて来たのだ。通常、認知症は短期記憶が衰え長期記憶は大丈夫なのだが。 記憶が薄れるなかでも、この時われわれはおのれの可能性を見出そうとする。年老いてもなお、それはけっして自分にたい…

へそと海と自分のその後

わたしたちを動かすもの 思いを言葉にしたからといっても、どうなるわけでもない。膝が痒くなって へそと海と自分を書いたのが10年前。 意図と効果 ⇒ こうしようという思いを果たせれば良いのだが 貫く意味 ⇒ そこに降り注ぎ覆うわけ(理由)の幾許かが 主題…

100年目の風景

▪️ハルさんのこと この世の支配者は「時」であって、(きみが)王であれ奴隷であれ、時がきみの命を吹き消すとき、あらゆる苦しみと喜びは夢のように、あるいは水のように消えてゆく。だから、王であれ奴隷であれ、良い思い出を遺す人こそ幸福なのだ。-フェ…

思い出ということ

読むという行為は、受容と傾聴と共感という<聞く>という行為に尽きる。ケアの場合において特にそうだ。ところで、昔話や<思い出>という言葉が若い頃わたしは好きでなかった。わたしがセンチメンタルだったから。反対にわたしが強がっていたからだ。こと…

世界あやとり紀行−展・わたしたちの記憶

「あやとり」展に行ってきた。19世紀末調査でオセアニア、極北、南北アメリカ、アフリカと様々なところに「あやとり」があるという。紐(食物繊維)を使った結び-輪- 記憶と知恵のコミュニケーション。ここに一本のストリング(紐)がある クロスすることもな…