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“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

旅程の横断

わたしたちは時間と空間の無限の厚みを横断せねばならない。だが、まずは神がわたしたちのものに来るために横断する。まず一歩をふみだすのは神なのだ。このとき、愛は、もし可能ならば、さらに大きくなる。愛は乗りこえるべき隔たりの大きさに対応する。・・・
魂をとらえ、わがものにするために、神は時間と空間の無限の厚みを横断し、力を使いはたす。魂が抗い逃げさるので、神は試みをくり返す。いくらかは不意をつき、いくらかは強制により、いくらかは貪欲の誘惑にうったえて、神は魂に一粒の柘榴の実を食べさせようとする。魂がほんの一瞬にせよ純粋で総括的な同意を与えると、神は魂を征服する。ついに魂を完全にわがものとするや、神は魂をおきざりにする。魂をひとり捨てておくのだ。こんどは魂のほうが、手さぐりで、愛する相手と再会するために、時間と空間の厚みを横断せねばならない。これこそが十字架である。
極限に達する身体的な苦痛、精神的に粉砕されて慰めの混じる余地するない苦痛とは、ある瞬間に、肉体の微小な延長のうちに入りこんで魂をひき裂く、時間と空間の総体である。魂はこうして神が魂のためにたどった旅程を逆にたどりなおす。ほかのやりかたはない。 
〜C3 シモーヌ・ヴェイユ 冨原眞弓訳 〜

神が先ずは横断し、時間と空間の厚みの横断こそが十字架であるということ。魂はその隔たりの大きさに比して愛を知る。