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“だれ一人自分のためにだけ生きる人はいない”

救いの問い・カール・ラーナー

人格的存在 >> 世界性 時間性 歴史性

しかしながら、人間は超越と自由を有する人格的存在として、同時にまた「世界的」、「時間的」、「歴史的」な存在である。そのような主張は、キリスト教の福音が人間に帰する諸前提を描写するために基本的なことである。なぜなら、超越と救いの領域は、始めから人間の「歴史性」と「世界性」と「時間性」を包含するものでないとすれば、救いへの問い、もしくは救いの福音は、歴史的に起こりえず、また歴史的な現実にかかわりえないであろう。
他方では、人間の世界性、時間性、歴史性を概念的に正確に区別することは、ここでは必要ない。そのなかでも歴史性の概念は、おのが契機として、包含するからである。しかし、これらの諸概念が意味していること、またキリスト教信仰の正しい理解のために決定的なことは次のとおりである。すなわち、この人間の世界性、時間性、歴史性は、人間がただ単にその自由な人格性と並んで、それに付随した形で有する契機というだけでない。そうではなく、それらは人格の自由な主体性それ自体における諸契機なのである。・・・ただ単にこれらの生物的、または社会的な特徴をも時間の中で合わせ持っている、というだけでない。そうではなく、人間の主体性と自由な人格的自己解釈が、まさに人間の世界性、時間性、歴史性を通して行われるのである。否、むしろ世界と時間と歴史を貫いて行われるのである。
カール・ラーナー「キリスト教とは何か」

救いの問いと福音は、世界・時間・歴史を包含しうる超越と自由を有する人格的存在に意義づけられる。