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“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

一緒に在る

森有正「流れのほとりにて」から〜
人間が美しい人格とともに、避けることのできない欠点や暗さを終わりまでもちつづけることは、それ自体偉大なことではないだろうか。これも亦その人間そのものの姿なのだから。私の存在が示す、僕にとって、もっとも大切なことは、一番広い意味で人格の修養ということが、あるいは修養ということが、いかに下らない、馬鹿げた事か、ということである。かれの中にはそういう下らない、馬鹿げたことはすこしもない。そして一箇の人間の崇高なところも、そうでないところも、年老いて、その人の生理現象と全く一つになる域に達したことは、実にすばらしい。僕が一生涯かかろうとも、この域には達することができるとは思えない。ソクラテスは、自分みずからを知れということを教えの根本にとしたというが自己そのものが正直に定着されていないといたら、どうして自己を知ることができるだろうか。
宗教や倫理や社会的配慮がそれを覆い、あるいは矯正するべき、その人間のみにくさを端的に、これが自分なのだと自らに対して示しうることは、実に見事なことである。そしてそれこそ、僕が前の本に収めた手紙の中に書いた、「在る」ということの本当の意味である。人間が「在る」ことに殆ど耐えることができないのかも知れない。しかし、その方へ歩みよること以外に、人間の進む道はない。自己を認識するということは、一つの生きることである。これのみが生きることである。
だから僕にとっては、愛も友情も、一つの価値ではない。自己を知るものが、一緒にあるということである。それ以外の意味はない。相手が何処に行こうとも、どういう状態に在ろうとも、傍にいることである。

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自らが自己そのものに定着しないのに自らを知ることなど出来はしない。だがボクらはそのように曖昧な自己を引きずっていく。だが、果たして人はその自らが「在る」ことに耐えうるのだろうか。そのように、人間がみにくさのそのものの姿で「在る」方向に歩みながら、共にここに互いの傍に「在ろう」ことを続ける。