Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

創造行為の襞

ヒンデミットがバッハ(ヨハン・セバッシャン)のことを「完璧から来る憂鬱」と言ったのだが、そのことをまた森有正も共感するようにどこかのエッセーに書き記していた。そうしていろいろ記述を探していたら出てきた。備忘のために森の訳を書き記しておく。

「この[創造する]行為自体は、他のすべてのものから全く独立になった。その依存しない程度は、非常に高くなり、ついには、その行為自体が自ら存在するために、芸術作品による表現をも、もはや必要としない域に達する。行為は思想になる。それは造形に伴うすべて偶然性と破れとを脱ぎ棄てる。このような高みに達したかれ[バッハ]は、素材の克服を完了して、まっしぐらに思想そのものに向かって進む」。 ヒンデミット森有正訳〜

この完成の域を「完璧から来る憂鬱」とヒンデミットは言った。今やヒンデミットを包含する現代音楽も色褪せて見えるが、1952年の本「作曲家の世界」のなかでヒンデミットが、バッハを現代風に演奏することをナンセンスと批判していていることを考えると、今にすると昨今の古楽演奏の昂揚が収まる中で、彼の創造行為によせる見識も的をえていたと言えてくる。半世紀の時間のタームも必要であると思えてくる。眼には触れにくいこの創造行為の襞を見つめているヒンデミットにボクはうれしくなった。だがボクの方は素材の克服どころか、素材に遊ばれてあたふたしているばかりだ。アタフタ!!
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btw...森有正語彙集というのがあった。古書・ヨナ書房さんの制作・提供だ。