Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

unless・・・

来週からもう待降節。早いな。
ここのところ時間つくっては良い感じでエゼキエル書を横断している。やはり冒頭のケバルの河畔での幻(visions of God)とでも云うのか、神の遍在性を如実に現わすこの情景に想像はさらに掻き立てられる。で圧倒されたエゼキエルはテル・アビブに行って7日間も呆然としていたこと(Eze3:15)だが、その時どんな顔をしていたのか考えるのは不謹慎だろうか。たぶんすごい熱でも出してぶっ飛んでいたのだろう、大祭司さまは。そのくらい冒頭はスゴイのだ。

でまた詩編なんかも眺めたいたらPsalm 127がしっかり目に止まった。でまたエゼキエル書に戻った。
http://www.blueletterbible.org/cgi-bin/tools/printer-friendly.pl?book=Psa&chapter=127&version=nas

 が家を建てて下さるこということがないのなら、その家を建てる者は虚しさの内に働く。 主が町を護って下さらないというのなら、町を衛る者も虚しさの内に目覚めるのだ。
朝に早く起きることも虚しく、夜に遅く休むことも、痛苦の仕事あるパンを食べるのも虚しい。
見よ。子らは主から遺されし贈りもの。その胎の実りは恵み(報い)である。 若きにあっての子らは勇士の手にある矢のようだ。
なんという幸いなことだろう。矢筒にその矢を満たす者は。城門にあって敵と口論するにも恥じ入ることもないのだ。

この"Unless・・・"は余りにも強烈だ。