Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

イスラエルとは

karposさんよりトラックバック(信頼 - 新生★KARPOS)。 merci!!

アブラムが旅立った。何処に? 神と信頼としての一致。 この一致は聖なる結び目(covenant)以外に何を考えることができるだろうか。そうしてkarposさんが云うように、パウロがモーゼを巡らす。
モーゼはイスラエルに云う。

「だが今日この契約を結び、誓いとのろいを告げるのはお前たちにだけではない。我々の神なる主の前に立っている人々と、今日ここに我々と共にいない者とも結ぶのである。」申命記 29:14

ならば、イスラエルとはそのアイデンティティを超えて聖なる結び目において神とともにいるすべてのものと云える。
さらにパウロはモーゼを巡らす。神に立ち戻ることを。信仰の義を。モーゼは云う。律法はおまえの力をはるかに超えるものでもないと。また遠く届かぬものでもないと。

「だれかが天に上り、わたしたちのためにその律法を取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができる者がいるだろう」と言うほどに高い天にあるのではない。 「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのために律法を取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだろうに」と言うほど海のかなたにあるものでもない。
御言葉はあなたのごく近くにあり、それを守れるようにあなたの口と心にあるのだから。申命記30:1-14

ヨハネの福音の冒頭 神学の序曲を巡らす。「命は人間を照らす光であった。」信を識るさいわいを。connaitre...