Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

光を知る


四つ目の火が点った。待降節主日の今日。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む(overshadow)」(ルカ1:35)
神は「光あれ」*1と仰せになって第一日の日に光を創造された。だのにまた四日目に二つの大きな光る物と星なんかをお造りになっただなんて・・・こりゃ何だ?と思っていた。
神ご自身がその光をよしとされた。だから・・・ある日ある時ボクは、はじめにいわれた光はもっとも大切で意味深い光なんだろうって巡らしていたら、ふとおのれの気持ちのモトが先ず明るくなってきた。あららっと思ってそれに気づいて「何だ太陽だけが光のもとでもない」と分るや、何だかすうっと難なく解けた心の明るさはもううれしさということに変わっていた。そのよしとされた光によって照らされるボクらがまた神をも光そのものだと云うこともボクは実感した。

で今日のミサである。「今年はいままで一番にいいお迎えの出来るクリスマスにみんなでいたしましょう」だなんてミサの最後に神父さまが妙に張り切るもんだから、前列にいた子供らは何を思ったのかニコニコで「眼をつぶっていてもすうっと扉が開くように光を感じるよ」ってことまで言い出した。お御堂を出ると冷たい風。うんん。でもここに居てよいというほんとうの安心に押されて気持ちがすごくいい。
光の子をていねいに大切に待ち望んでいると、何だか分らなかった聖書の言葉のいろいろも解けて分ることもあるんだね。待降節の頃になるといつもあの呆気なく解けた日のことの光を思い出している。みんなして安心して今年も静かにいいお迎えを是非したいものである。

*1:創世記のはじめ