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“だれ一人自分のためにだけ生きる人はいない”

勇気と幸福

◇ミネルヴァあるいは智慧

新たな年を迎えた。休暇はゆっくりくつろげた。よって日頃から溜まっていた疲れもすっかり取れた・・・。そんな中、常々読んでいたリール遊民夫婦の手記勇気と幸福(アラン) - KIYONOBUMIEのエントリーに眼がとまった。

そのブログに当の(き)さんがアランの『ミネルヴァあるいは智慧』という本の第47章「勇気と幸福」と題されたプロポを訳されてたので、やにわに身を乗り出した。憩う長閑さの中、ささやかでも「幸せでありたい」という願いは、背筋が伸びる「勇気」の健やかさでもって更にしゃきっと強められた。そしてじんわりと嬉しくもなった。(き)さんに感謝である。<人間の幸せについて>、<幸福について>、<オプティミスムについて>、<ペシミスムについて>。

どんな幸福も悪く受け止めればそれで台無しになりかねない。それで、本であれ芝居であれ遠出であれ、それについてよくない印象を最初から持っていると楽しむのは難しくなる。倦怠とは一種の判断の先取りであり、あらゆる楽しみごとをフイにしてしまう。喜びというものは、それを味わおうとしなければまず味わえないものだということを心に留めておこう。

喜びはわれらの意志によって導かれ、精神によって高められて勇気に支えらるのだね。すっとツボを押された。

◇定義集

そのように背筋を伸ばして貰ったのに促されて、ボクもわが本棚に眠っていた『定義集』を取り出て、しばらくアランの世界に身を沈めた。定義集


アランの言葉の提示。イデオロギー拠らない静かな力勁さ。その獲得。やはりなんといっても森有正訳である。精神とはこんなにも豊かなものなのか。いいぞ。森有正自身が「感覚」と「経験」と「定義」をもってアランに係わる。「経験」ということの深さ。そのことの言述。定義によってまた立ち戻り新たにされる「感覚」。

で訳者の森有正曰く

本書は、その慎ましい外観にもかかわらず非常に重要な作品である。ここに提示されているのは、フランス中等教育である作文の典型であり、中学の教師として一生を終えたアランの本領を示している。ものとことばと思想との関連を実によく示しているものとして、千百のフランス思想の解説書よりも価値の高いものである。

森訳のみすず書房のものには、辻邦生と所雄章との対談というかたちで後書きがある。またこれも味わい深い。

◇幸福論

辻邦生の後書きといえばアランの「幸福論」の後書きにはアランの核心として「理・レゾン」について書かれている。幸福論 (イデー選書)


そして再びアラン・プロポ、(き)さんの訳の結びをアクセスしてみる。

デカルトがエリザベス王女に送った有名な手紙を読むにしくはない。そこではどのように人間が自分じしんの意志と自分じしんの思考から救いを引き出すかが説かれている。私がこの小さな紙幅でつつましやかながら言おうと努めたのは、誰だって勇気の支えがなければ幸福もありえないということである。

それでボクもエリザベト王女への書簡も探してみた。

想像力を要する思考には、一日のうちの僅かな時間......知性だけを要する思考には一年のうちの僅かな時間......それ以外のずべては、感覚をゆるめ、精神を休めることにあてるのです。 エリザベト王女への書簡から

のんびりとしたいい正月を過ごせた。