自己ということ。他者ということ。
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20060210/p2。「侮辱の交換」か、ほぉ言い得て妙。
今回の事件の背景を、イスラム教徒の視点から説明している。根底にあるのは、「表現の自由」というよりは、人種差別であり、イスラム教徒に対するヨーロッパ人の恐れ(Islamophobia)であると書いています。
これは大事なポイントかも知れない。フランスなどの他の国のムスリームの発言があればいいと思う。
でもイギリスたって表面はいいけど何だか階級社会の影がすぐ見え隠れするしなぁ。余談だが(別次元だが)・・・
話を寛容か不寛容ということに的を絞ればイギリス人が寛容であるとは個人差もあるけどそう易々とは云えない。スコットランド人気質などはいい例で他のイギリス人のそれとは水と油だ。イギリス解体に向かいかねない動きさえある。
イギリス 機能主義 功利主義を同列にするのは当然ムリなので フランスVs.イギリスの図式はひとまず私は伏せておきましょう。
表現は信仰の機能に内包される
ともかくまあ問題は自己に粘らないで原理に偏らないとまとめるのが肝要のようだ。もとより狭義の原理主義は論外と思われる。原理と機能の関連。私はそんな意味で「表現」は「信仰」中の機能の質として内包されると昨日云ったんだけども。だから独善的に自らの宗教だけを肯定することはできないし、他者の宗教には寛容でなくてはいけないだろうし、他者の信仰を尊重するならば、自らの表現を控えるということになるのだけども。おっと私の考えはこの際おいて。粘らない。粘らない。
しかし自己というものはある。
事象
- 1の事象 Aから見たB AはBに対して不寛容である。対立関係。摩擦。
- 2の事象 Bから見たA BもAに対して不寛容である。対立関係。摩擦。
寛容と不寛容
- 不寛容が寛容より有効性を及ぼすのは何故か。
- 寛容が不寛容より有効性を及ぼすことはないのか。
-
- Aの歴史内において原理はAの内部の諸原則を規定する。形成されるAの論理。
- Bの歴史内において原理はBの内部の諸原則を規定する。形成されるBの論理。
原理と論理
- 互いの原理の相違は論理の相違と同じなのか。
- 互いの原理の相違はABの対立するものになるのか。
- 互いの論理の相違はABの対立するものになるのか。
-
- 互いの原理の相違はABの対立要因であるとしても摩擦はされられないのか。
- 互いの論理の相違はABの対立要因であるとしても摩擦はされられないのか。
原理と論理の適応
- A内原理をB原理に適応することは出来るか。この逆は可能か。
- A内論理をB論理に適応することは出来るか。この逆は可能か。
適応するならばその条件は何か。