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“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

友情

出会いは偶然である。それが一致(合致)に至るならば必然でもある。がその必然から一歩踏み込んで心を言葉のかたちに填められたものとすると、そのよってたつ自由は言葉によって突然頑なになる。ある友情の幸福は別な友情の不幸を補填するようなものでもない。むしろ友情のひとつ一つの不幸はその行いの結果ではなく幸福の欠如あり方に原因があるとも云える。
友情は結果ではなく期限のない約束である。友情に賞味期限はないとしてもその機会を逸するのは相手があるからだ。しかし友情の様々な問題のほとんどは互いの問題というよりも本質としてわたしの内の問題だ。友情という雲をわたしが見てその雲にわたしは見られているのだ。

アランの定義集*1を開いてみた。

友情 合致

友情 | AMITIÉ |

これは自己に対する自由で幸福な約束であって、自然の共感を、予め、年齢や情念や相克や利害や偶然を越えて、変わることのない一致にまで、変えることである。普通それは言葉には出されないが、人は友情の結果を見、友情に信頼を置く[se fier]。そこからいかなる駆引きもない会話や判断の自由が可能になる。逆に、条件の友情というもは人を喜ばせることができない。

合致 | CONCORDE |

合致は時の経過によって検証され、将来に対しても信頼を与える一致である。合致は一致のように、自然発生的なものであって、理屈を超えている。

思いあがり

思いあがり | ARROGANCE |
これは自分で一人占めにしようとすること、言い換えれば自分のために要求することである。それは自分のことをさせようとする心構えであって、他の要求者のことを考慮さえしないことである。この言葉の正しい意味あいは次のようなものである。この言葉は、或る種の怒りを繰りひろげることを意味する。その怒りは、好意を与える人にも、それを希望する人にも、等しく働きかけようとするものである。それゆえに、思いあがりが成功することはほとんどないし、したがってそれは、ほとんど常に滑稽なものになるのである。