Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

高野喜久雄

id:mj_thereseさんのページで知りました。http://d.hatena.ne.jp/mj_therese/20060601

典礼聖歌で馴染みの曲高田三郎氏作曲の「父はいる」「呼ばれています」「イエズス・キリストへ」の作詞をされた詩人の高野喜久雄氏が先月始めにお亡くなりになられました。
戦後「荒地」に参加。20年間ほど詩作を断っておられていて、95年のイタリア語訳出版を機に同国で高い評価を受け、再度詩作に励んでおられたようです。すこぶる人間存在の意味を問う作品でした。享年78歳。残念です。

「蛹の時間 いのちの向きを変えるための」 冒頭に「ボナセーラ。 高野喜久雄です。」とあります。

いつまでも少年のつもりでしたが、いつの間にか頭の中も外も、すっかり蒸発してしまい惨憺たるものです。幸いなことに最近は、近いものも、遠いものもあまりよく見えなくなってきました。
とは言え、過ぎ去ったわれわれの愚かな100年は何だったのか、と・・・かなり感傷的に考えないわけではありません。<知の探求は知をはみ出していないか、愛の探求は愛を見失っていないか?> 決して幸せで無かったわれわれの地上を振り返るとき、この不安は一層深刻です。

「知の探求は知をはみ出していないか、愛の探求は愛を見失っていないか」。
鋭く突き刺さります。感謝とともにこの言葉を刻んでいきたい。