Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

死者の書

この暑い時にこそ一冊の本をじっくり読み返すのもいいだろう。「死者の書」。

「盆(盂蘭盆)とは、いつもの『私』から『ワタクシ』を取り去ることである」とある僧が話をしてくれた。なるほどだと悼むとはそういうことかと素直に思ったが、だったら何で年にたった一度だけかとも思った。逝った者の冥福を祈るのも然りだが、日々のワタクシに阿る事から離れるというならば、死と生を分つことなく、本質的に死者と共に出来る「時間」「歴史」に常に与ることではないか。またその時間実体を掘り起こすことではないか?と思うだ。これを共にしないでどうボクらという生者は死者と全体を共有すると云うのだろうか。死は生に縁取りされまた死によって再び生は縁取りされ生と死は一体となり和解するのだろう。
というのも、人が人であるならば、その人ということは世であり、世は今に連なる歴史というもの。それでこの世にはいない死者から生者へとほんとうに受け継がれていくのだ。

その生者と死者の時間と歴史の結び目は、「ヒロシマ」であるかも知れないし「ナガサキ」でもあるかも知れない。ある人にとっては何らヒロシマでもナガサキでもなく「ヤスクニ」であるのかも知れない。全くどれでもないかも知れない。ボクも長崎に四年ほど暮らしてたが、それが長崎がナガサキになるということは、『私』から『ワタクシ』を取り去るならば、常に纏わりつくあの生臭い政治の領域からも、ワタクシという固有のものを取り去り永遠の平和の中に死者の魂を浄化することができるのだろう。

ところで、ワタクシの母が再婚であるのを知ったのは、ワタクシが30歳になる一つ前の年だった。その相手は、つまり母にとっての最初の夫であった方は海軍の士官で昭和20年、沖縄の海で戦死したということだった。父も母も生前正面切ってその話に触れたことはなかった。もしその方が生きていたなら、ボクはこの世に生まれてはいなかったのだ。

長くそう思っていた。だが、そうではない。後になって、私が生まれた時は周りの皆んなで私の誕生を祝ったということを叔父から聞いた。戦争がなかったら私が生まれなかったのではなく、戦争が終わって平和になったからこそ、この私が生まれたのだ。やはり、死は生に縁取りされまた死によって再び生は縁取りされ生によって和解するのだろう。以来私はほんとうに平和の子供として生まれた自覚できるようになって気持ちが解けた。

これでようやく、『私』から『ワタクシ』を取り去り悼むことが出来るのだろうか。死者との交感の中でボクらは今を継続している。コンクリートの壁と建物の視角から真夏の空を望んだ。