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“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

日常の内的な気づき・ボクの祈りのアクセント

昨年の今頃は活動系のS修道会の練成院に伺ったが、昨日は観想系のC修道会を訪問する機会に恵まれた。九時課の祈りにボクら皆も与れたのは貴重だったし、またその後、院長との一時間以上の談話で質問が出来たのも有意義だった。

内的な和解と平和

ところで・・・
仕事や日常生活において、また肝心な祈りの中心の時においてさえ、何も忘れものは無いようでいて意外に大切なものをどこかに置き忘れることがある。本来ボクである自分とイエスが相互に在ることが自然な形であるはずであるが、現実はさにあらずである。というのも自分自身を見失っている時は実のところイエスを忘れている時だと云えるし、逆にイエスが見えなくなっている時には自分をどこかに置き忘れている時であるとも云える。だから、表面は静かにイエスに祈りながらもボクの心はどこかの遠くにあるのか分からなくなる。このように大切な本質の忘れものをするなら(イエスも自分見失っているなら)、無論どんなにボクが気持ちのおもむくままに寛いでいるとしても、ほんとうは当のボクの安らぎは勘違いだということである。イエスが見えないで自分でないボクの違う誰かが寛いでいて、ボクの自分自身がホントウに安らっていない。だからボクはくたくたにもなるは当然だ。こんなボク。内的な和解と平和を見いだせないそんな時もあるのだ。正直云うと・・・

短い祈り

ってことで・・・
せっかく「祈りの使徒職のプロ」の院長であるシスターに直に答えをいただけるのは良い機会だと思っていろいろ伺ってみた。

  • 「普段の生活の中で自分を元に戻す為の簡単なきっかのような、内的霊性として何かいい方法はありますか?」

先ずは予想通りの答えが返ってきた。

  • 「何か短い祈りで『主よあわれみたまへ』や『神が私のうちに、私が神のうちに』などではどうでしょうか」と。

つまりよくある射祷の勧めだったので、
「その祈りにアクセントやエッセンスを強めるためにはどうしたらいいのですか?」と聞いてみた。

  • 「内的な祈りは各自違うのですが、短い祈りと一緒に出来るだけ具体的なイエスの生涯の一場面をイメージしてはどうでしょうか。抽象的にならない方がいいでしょう」「長くではなく短く祈ることでしょう」

まだ物足りなかった。・・・

祈りのポイント

ついに興味深いことを云われた。

  • 「畑仕事する時に、どこからか、救急車のサイレンの音を聞くことがあります。先ずは音を受け入れる自分であること。そしてその音に思いを巡らせイエスを重ねます。」

私と世界との間を複雑にしなこと。自分と世界実体をシンプルに受け入れること。それでイエスを重ねて祈りに向かわせるという訳である。やっと祈りの本音が聴けたようだった。これはボクだけのアクセントかもしれない。

祈りにはたくさんの形(活動系や観想系にとらわれることもなく)がある。それぞれの形。外から内。内から外。また各自のそれぞれのイエスの現存へのアクセント。人の話に耳を傾けること。いい時間を過ごせた。ボクなりのポイント。ボクのアクセント。