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“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

地の掟・辻邦生著 ある山里の物語1 

乾いた岩の丘の風景。「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」。印象派セザンヌの絵。対象を気韻の表現と捉えたもの。その風景画を辻が物語りとして解きほぐす。辻邦生十二の風景画への十二の旅 (1984年) の一つ「地の掟」を読んでみた。絵から喚起されるものって、どうだろうか?こんな形で提起されるのか?これもある解きほぐしだろうか?まあそれはそれとして「?」のままだけど気にしないで、絵との関連ではなくその風景に示される物語の話進める・・・


その場所は荒地と乾いた岩の丘が交わる台地の中、そこには巨大一つの瘤の山があった。透明な空気が光るその日に、その岩の台地からその山を眺めることを好んでいた旅人である私は村はずれに出る。そして私は丘の端で山を見入っている土地の老人と出会う。老人は私にこの土地の伝説を話し始めるのだ。

これが物語の冒頭である。・・・、昔まだ山も川も大地も形をとりはじめた頃のことであった・・・。とこの話は神話的なものの語りとして入っていく。

      • その伝説のプロットはこうだ。

とある山奥に巨人族がすんでいて、人間たちはその話を知っているが、巨人の姿を見たことはなかった。一方、巨人族はよく働く人間たちの生活を山の間から覗いてよく知っていた。
そこに、楽しそうで賑やかな生活の人間世界のことを見て羨む巨人族の女がいた。それに対して巨人族の男がいて、自分たち巨人族に比べて働く割に百年に満たない命を哀れだと人間を蔑んでその女に言い含める。
だが自らの巨人族の世界に魅力を無くしている女は、新しく生まれてくる娘をどうしても人間として生活させてやりたいと一族の長老に願い出る。長老が云うに、「お前が願うなら方法がないわけではない」と巨人族の長命と無為は自分たちが愛に満ちていることの証明だと云い、娘が人間になるための条件として、娘が誰も愛さないならばその願いは叶う。もし愛したらすぐに元の巨人族に戻ることになると女に伝える。

巨人族 長命と無為 愛の充満 愛を相手に求めない
人間 短命毎日働き楽しむ 愛の欠如 愛を相手に求める

ある夜、一人の赤ん坊が人間の住む山里の村長の家の前にそっと置かれた。

そして、その女の子ステラはその村長夫婦に育てられて成長していく。この後凛々しい若者エンリケに出会いプロポーズを受けることになる。

      • 次回に続く

で画集を取り出して見てみた。だが、セザンヌの絵は面白くないのだ。 (〜_〜)
追記ですが・・・日頃からこんなボクのブログを読んで下さっている方からていねいにメールをいただきました。感謝しないではいられません。ありがとうございます。