「草枕」メモ・対位法
一昨日の続き。
ここに新たに「言述者」という要素が登場する。だが、「スゲェ」に対して私は主体と対象を判断しようと分離を行う。
http://d.hatena.ne.jp/Emmaus/20070302/1172810380
「草枕」の余(画工の主人公)と那美との関係を見てみる。「スゲェ」は、「草枕」では「非人情」だと言える。
余(画工の主人公)と那美の「非人情」は不可分的な一体の融合で構成されている。
さらに先ず発話者は余である画工。次ぎに言述者は余と那美の二人だと考えられる。ここに二人の不可分的な融合と分離が描かれているのではないか。あるいは余は既知としての「非人情」、那美は未知としての「非人情」と考えてみる。
そこで発話者と言述者の自体が一体の関係を階乗的に一度考えてみる。
そうすると・・・
未知が既知になだれ込み(中井久夫)、さらに既知が未知に吸い込まれてゆく(森有正)。
これはグレン・グールドの「北の理念」の対位法に似ている。そうすると互いの既知と未知の応答を繰り返して、余である画工に最後に顕在化したのが那美の「憐れ」の表情ということだ。少し見えてきた。「非人情からの眺望」が・・・
以前の記事、時枝誠記と中井久夫の「言表の発話」「発話の伝達のしくみと既知情報の体験過程」を再度巡らしてみる。日本語の早道2 - Emmaus’