目覚める
考えてもいた、思ってもいたがぼんやりしていたかも知れない。奇妙にも眠りから目覚めて後にしか自分がぼんやりだったということは分からない。目覚める=気づく回路。
単に考えたり思ったりする以上に。やはり考察するんだよ。つまり注意深く判断を巡らし不可視としての考慮をもってやらねばならないこともある。決して思弁ではなくて。
「在る」中で、自分自身を結ぶ=目覚める。それだけではなく、その手続きを践む。
哲学についてのひとつの根源的な自己解釈が与えられてくる。そして、目覚めが動き始める。
オントロギー 事実性の解釈学p18
と云う。
いわば、わたしが「ある(在る)」中で自分自身に出会うこと。自分を受容すること。自分を変えることでも、偽ることでもなく、意味を見出す訳でもなく、ただ目覚める。
眠りから目を覚ますとは?つまり・・・ハイデガーは眠りについて、「眠っているものは、独特なかたちで不在であると同時に現にいる」と云う。不在と現存在の同時性の、曖昧な宙吊りの状態。イメージする哲学の手続きを得るのだ。
(北川東子著 「ハイデガー 存在の謎について考える」参考)
隠れているものが見えて、見えていることは隠れていることであるのを知るようになる。これが、思考力という宙吊りの発見だということになる。「存在の問い=存在の意味についての問い」がこの眠りから根源の問いを反復することになる。