永瀬清子・あけがたにくる人よ
永瀬清子という詩人をご存じだろうか。岡山の在の詩人だった。「トゲありてこそ汝はバラ」という言葉を残された。かつて宮沢賢治追悼会に出席した中で「雨ニモマケズ」の最終稿の発見にも立合われたという逸話があった方。書けぬ時を耐えて御年81歳の時の1987年に《枝》として、鋭敏で潤おしい感受性で、新たに自らを拓き詩集「あけがたにくる人よ」を世に出された。彼女は生きることを《枝に着いている間》と述べていた。わたしがこの詩集に出会ったのが20年前。あれからどんどんわたしは変っていったのに、彼女の言葉の《枝》に触れる度今も初めのときめきの鮮やかさは褪せることはない。みせびらかす詩でなく、言葉だけの詩ではない。それほど「自分を削りとって来た」詩なのだと今にして痛感する。
私の洞(ほこら)に棲む老いたる鬼女は 冷たい霜の朝に咳(しわぶき)ながら / 朝日と苔のあいだにみえかくれする
「老いたるわが鬼女」より
- 序詞
- 第一章 あけがたにくる人よ
- 第二章 女の戦い
- 唇の釘
- 八月の願い
- 夜ふけて風呂に
- 雨雲ふかく
- 古事記
- 私の豆の煮方を
- 毛の房のなか
- 私がいなければ何もない
- 指
- 女の戦い
- あとがき