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“だれ一人自分のためにだけ生きる人はいない”

クリスマスおめでとうございます

今夜、川向こうの近くの教会のクリスマス・イブミサに家人と与った。ミサの入祭の三十分前から祈りや歌が行われていたみたいで聖堂は大勢の参列者で立錐の余地もなかった。

読書が好きな者にとっては、その始まりの「序」は何も代え難く清々しい静かな楽しみであるし、順序だって次ぎに本文、次ぎに最終の後書きと読んでいくが好ましい。出会いのはじめに結末を知る者はいない。せっかく読書(テキストの悦楽)をするならば間違っても後書きから先に読むのは読書の嗜みに欠けると思うのだがどうだろう。

そのように兎も角(話のまくらが長くなった)、降誕はいのちの序章である。その生涯の終わりから俯瞰し追想することより、その光の始まりの生まれるそのものをシンプルに祝うことが何よりいい。がこのしるしは、喜びというより恐れだと云ってもいい*1。そのいのちの序章という降誕には泊まる場所はなく布にくるまる飼い葉桶であった。さびしい情景が華やぐ春のような状景になる予感はどこにもない。しかし、静かにボクらの上に注がれる光の言葉。深い喜びと大いなる楽しみが与えられる。ひとりのひかりのみどりごがボクらのうちにお生まれになった*2。その名はイエス。はるかな永遠(とき)2000年の海原をこえて 今またここに降りてくる。その当時、わたしたちの咎(とが)の刺の痛みにすべてを救う神の慈しみが注がれると誰が言い当てたのだろうか。「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。*3」イエスの降誕こそがわたしたちへの一番の贈り物である。
主の降誕の恵みと喜びを分かち合うさいわいを。どうぞ皆さんよいクリスマスをお迎え下さい。

*1:ルカ 2:8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた

*2:イザヤ 9:2

*3:ヨハネ福音書 1:16