人も音楽も<あるところに>向かう
音楽はどこへかに向かう。そして人もつねにどこかに向う。「グールド(グレン・グールド)はグールドである」と言ってわが道をゆくアンジェラ・ヒューイットのクープランがこれまたいいのだ。因みに彼女もグールドと同じカナダの産。
六年くらい前ある切っ掛けで水戸の音楽ホールでヒューイットの音に巡り会った。既に当時からクラシック音楽ではピアノ演奏によるバッハは何をやっても精彩がなくレオンハルトをはじめとする古楽のチェンバロ演奏に押されぱなしだったが、果敢にピアノに拘って彼女はバッハに集中して、当時ヒューイットが「ロザリン・テュレックはピアノの楽曲の構造、つまり音楽がどこへ向かうのか知るためによい」とバッハを美学として再定義したいと、どこかで云ったのが記憶にある。でも当時ボクは彼女(ヒューイット)のバッハは平板過ぎて眠いがそれに比べクープランは多少いいかなという印象だけだった。
時間を経ることは貴重だ。しばらくして彼女のクープランのCDが出された。よかった。時を遡ったフランドル音楽の佳ささえ漂っている。まさに「音楽はどこへ向かう」。グールドがバッハの曲よりバードやギボンズの曲を時を経る毎に本質的に好んだように、彼女もクープランを自らの音楽の源泉としていったのかと直観した。彼女は気の遠くなるような絶え間ないチャレンジの中、クープランに<無心な手応え>を感じたのかな。なんていい音なんだ。まるで音が音を楽しんでいるよ。
中山(id:taknakayama:20071227 )さんの転職のお祝いの記念にアンジェラ・ヒューイットのクープランをアップしてみた。
↑はネットで試聴ができます。