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“だれ一人自分のためにだけ生きる人はいない”

ジョナス・メカス〜ゲンナジイ・アイギ

メカス〜アイギ関連、あるいは「無」についての覚え書き

愛は不在そのものである - 記憶の彼方へ

三上さんが云うように「愛の不在ではなく、愛は不在そのものである」のならば。これは愛に<気づき>ながら愛そのものをも超えると考えてみた。それは有と無の境界をも超えるものではないだろうか。三上さんどうでしょうか。

メカスは「芸術はあえて言えば愛の形態だ」と69年11月の日記で書いて、こう続けた。

愛とは愛以外のすべてのもの------憎悪・羨望・怒り・嫉妬・物欲・エゴ------の不在である。愛は不在。愛は無------しいて言えば------

〜三上ブログ

詩人の高野喜久雄はイタリアに招聘されて「無」についてこう述べている。

ここに一枚の紙と鉛筆があります。 この紙の上に閉じた円を書き、紙の上を円の内部と外部とに二分します。 もしこの円の中を「有」と名付ければ、外部は「有で無い」つまり「無」の部分です。 ではこの円、この紙を二つを分けた境界線は何なのでしょう、有なのか、無なのか。 しかも、この線の上に立つことで、有と無を一挙に超えようとする不思議な考え方(Kitaro Nishida)もあったのです。
http://www.asahi-net.or.jp/~yp5k-tkn/romauniv1.html

それ故にゲンナジイ・アイギが云っている"I want for nothing"ということではないか。まさか単純に西田とつながるとは思えないが、独断的に「無」というものを結び目に考えてみた。

因みにゲンナジイ・アイギはポール・ツェランと同時代性はメカスの領野では当然の事のようだ。
息の転換・パウル・ツェラン - Emmaus’