Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

アンジェラ・ヒューイットに走って鼾してしまった

予定通りコンサートにはジョグで20キロ走っていった。着いた席はdo真ん前。でどう!、ピアノの傍には四つの水が入ったグラスがある。何だろう。水を補給するピアニストなのだ。渇くものは求める!のだろう。
それで何と、こともあろうに演奏が始まって後に鼾をかいた。というのも隣の音楽の友の一人がボクの体をこづいたからだ。ドライブしないファツィオーリ製ピアノに苦慮している音につい眠気がさしたのか分からない。そんな失礼をするはずはないが、兎も角いびきをしたと云うことは確かなこと。きっと会場のまわりの方の顰蹙をかったのだろうな。すいませぬヒューイット様。聴衆の咳一つさえ気になるという彼女だから寝息が聞えぬはずがない。まったく肝心のとこでいつもこうだ。まったくこのオレったら。

だが・・・失礼な眠りから覚醒してオノレの耳に流れくる音、擦弦する楽器のように音と音との繋がりを過剰に歌うピアニズム。何だろう。ピアノは何故か追いつめられている。人間の自己の主体おいて。彼女の洗練された高度のピアノに対する高まりと雄弁が、今の現代を何か物語っているように感じてならなかった。まったく他意はなく眠気がさしたのです。いい訳がましいですが・・・・小突いてくれた友に感謝。この後しばらくさんざん云われるのは覚悟しています(案の定云われました)。

それにしても後半からの彼女の演奏の乗りと演奏の後のホールのあたたかい拍手の大きさはこの夜の彼女の演奏の出来の良さを現したいたのだろう。勿論ボクも手が痛くなるほど拍手をしたのだ。一週間前の三上さんのコメントを思い出した。その言葉「重力と恩寵」。この地上に出来るボクらの営為について考えてみよう。

http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20080421/p1