emmaus.hatenablog.jp

“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

聴くこと・時の受容

駅前でスピーカー越しに何かを訴えている人がいる。それに立ち止まり耳を傾ける人。素通りする人。語ることは不特定の他者を描くことでも成立するが、しかし聴くことは発話す一人のその人自身を認めないと成り立たない。
先月末、わたくしの義理の妹が逝ってしまった。何としたことだろう。「時」を語るよりも「時」に居合わす。受け入れる。とても辛かった。それを受容すると動かぬはずの「死」が私たちの「生」に飛び込んで来てこちらに語りはじめる。こちらが「死」を語ることよりも「死」を聴くことが「死」の中心までわれわれを促し導く。だから逝くことと死は別ものだと分かってきた。亡くなって十日が経つ。