Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

整えることなど出来ない

まるごとに宥めて師走を趨りいく

このところ夜の走りがとてもいい。ガ・・・結論から云うと走って宥めることなど出来やしない。気持ちは気持ちとして自分に正直でありたいが、からだは抗いきれないササクレを諫める。だから収めるよりもむしろそのズレを言葉とからだを接ぎながらあるものに開こうとする。これは論ずることや生き方や走り方ではなく、「個」そのものの「生」や「走」に類することだ。でそのズレでもって走ってまるごと<気>そのものを上げ気を発する。気合いとはがんばりリズムとはとても全然違うものだ。なんだか今日は仏教でいう禅の「公案」のよう。昨日の走りは一つの口実で本当はなじみの床屋に行くためだけのトレイル18kmだったかも。こんなこともある歳の瀬の走り。キロ6分半、ジョグにしては少し飛ばし気味だった。