emmaus.hatenablog.jp

“だれ一人自分のためにだけ生きる人はいない”

駒ケ根高原マラソン・ロードレース

人や自然からほんものをもらった

楽しんだ

昨日駒ケ根高原マラソンのロードレースを楽しんできた。実は、この大会のエントリーは昔の走りの友達からの誘いだった。ボクのエントリーは坂の上下の高低差のある6kmコース。当日現地駒ヶ根高原は快晴気温20゜C湿度38%走りとしてはこの上ない条件。結果は34分40秒。60歳代で39位(104人エントリー)。家に帰るや呑めない我が妻と祝杯を上げた。

凛ちゃん企画「徒」盛況

その大会前夜(土曜日)に、凛ちゃん(id:rinta6u)が一日お店を渋谷で開くという。こちらの予定とバッティング、自作の「おからさん」を差し入れ参加として、凛ちゃんの奥さんに金曜の夜に届けた。とても優しそうな奥さんだった。繋がるとはまさに交友こと!。

調える

20年前夏、沢登りの奥多摩水根沢の高巻きで浮き石に足を取られて滑落し、15m下の谷底に自分は沈んだ。空中で一瞬あっと思ったが記憶にあるのは途中岩に額が当たりパンという音だけだった。一時間の気絶のち下半身が動かず自力でハーケンを頼りに鞍部まで10m攀じ登ったが額の出血からか身体の震えが止まらずそれまでだった。偶然下から登ってきた一人の若いクライマーに発見され九死に一生を得た。まさに彼は命の恩人。もし彼がいなかったらこうしてここにいなかっただろう。ICUに運ばれ手術し三日間の重篤。よもや肋骨骨折で肺気胸となり、腰椎の4と5を砕いていたとは知らなかった。リハビリと治癒の入院生活。社会復帰と走りが出来るようになったのは僥倖というしかなかった。
もう事故が昔のこととなっていた昨年の3月、古傷の腰の神経圧迫で座骨神経痛となり走りを止めた。目前の四月吉岡さんと一緒に走るはずのフルマラソンは当然キャンセルした。次第に五歩も歩けない身体になり手術も視野にいれるまで悪化していった。藁をもすがる思いでダメージの少ない手術を受けた。結果はさほど良くなかった。苦慮する中で病院を変えて遅々たる整形のリハビリを続けた。今年の2月に整形の医師からジョグの許可を得ることになった。アレクサンダー・テクニークというオルタナティブの姿勢矯正で調えもした。以来コツコツと近くの小高い山で歩きと走りで介護という自分の仕事が続けられるように脚腰の筋肉を鍛えた。

ほんものの元気をもらった

久しぶりの遠出は愉快だ。その土地ならではの土産も買ったが、楽しく走れて怪我なく帰ってこられた、これが今回の何よりの土産だ。大会の前夜祭で15年ぶりに昔の走りの大先輩と再会した。このレースに第1回から28回連続出場の方だ。人にはそれぞれの人生の道があるように、差異と類似の中で大きさや長さや速さではない、人と比べることの出来ない一人ひとりの走りがあるのがよく分かった。高原を走り人に会い、自然や人からほんものの元気をもらった。ならば自分はほんものの元気を他の人にお返ししよう。

目標達成と約束

今朝一番でいつもお世話になっている整形外科の先生と理学療法スタッフに感謝の気持ちでロードレースの完走証を持参しお礼に行った。「おっ」と言ってみんな笑顔になった。当初からの目標は、レースの翌日(今日)にいつもと同じようジョグを終える事だった。今しがた歩きと走りの8kmの雨ジョグ終えた。目標達成できた、真にうれしい。また来年も駒ケ根高原で走ろう。いま村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」をはじめから読み返しているところだ。