Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

木は語らない・木は語っている

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20120322#c の続きだが、こちらから三上さんへのコメントにしてみた。

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三上さん、こんばんは。

一方で<木は語らない>というのは、私には<木は語っている>ということを他方で想起することです。実にこの二つの命題は矛盾することなく等号しています。私の勤める精神病棟の人々(注*1)も同じように皆語らない人々だからです。
それはそうと…これは木の話です。「見るとはかすかに愛することだ」と述べたのは清岡卓行ですが、写真の直視がわれわれが現在持っている認識以前のものに誘うのは三上さんの一連の木の写真で明らかです。木がわれわれの言葉以前のもの(言葉以外かも)で成り立っているからです。絶え間なく見ることは聴くことです。この傾聴は、こちらの認識でなく向こうの成り立ちを受け入れ賛成することだと思えます。われわれが言葉の通じぬ異郷の地に立つごとく。それは、まるでわれわれの欠けたものを豊かさで補うかのようです。

追記(2012/8/24)豊かさを補うのは当然、こちらの認識する側が重要なのではなく、あちらの木の方が重要だということです。

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*1:代表的には高次脳機能障害による失語症の方々