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“だれ一人自分のためにだけ生きる人はいない”

生活に根ざす、そして笑いが込み上げてくる…

四年も前の金城さんの記事を再読した。[2008-08-08「役に立つ」か、「夢を売る」か、そのどちらかだ」

結局何が言いたいのかっていうと、「原さんは最後に、「人生ってのは、「役に立つ」か、「夢を売る」か、そのどちらかだ」と言い切るわけさ。そんで夢を売るためには、的に命中した矢をいくつか持ってないとね。でも、すでに、百発百中の的の作り方は知ってるでしょ。あとは、それをかついで、せっせと夢を売り歩きましょ。(simpleA)

わたしはまだ金城さんに会った事がない。だが懐かしい昔のことのようだけど今でも新鮮なんだな。上のフレーズは良いよ。何度も読んだ。これからも新たな気持ちでまた読むことがあるだろう。ありがとう金城さん(id:simpleA)!

running

弛まず可能な限り力を練り上げようと。自らを卑しめず、何気ない静かな一日の「生活」を謂わば人生の目標にと。嘘だろう!そう願っても出来ない日々。いっぱいいっぱいの日、きりきり舞いの日が多い。金はすぐなくなるし、ゴミだけがあふれてくる。

ふと夜の帳のジョグに出た。歩きを2キロ。頚を左右上下にゆっくり振りながら留めて徐に頭を空に延ばす。芝のグランドで裸足になる。足の裏に感じる冷たい秋。頸と背中を整えおのが身体に耳をそばだてて少しずつ走りに入る。2キロ走ってまた歩きにもどそうとするが、走りを落とすことが出来ない。振り込む腕を止めて冷静さをたぐり寄せて歩く。また頚を振り頭を空にもたげる。頭から頸と背中を従えさせる。ふと「氷った焔」清岡卓行の詩のフレイズを左右の手を揉み解しながら繰り返しわが手に刻み足にも刻む。走って歩いてまた走る。そして、10kmを終えた。

どこから世界を覗こうと/見るとはかすかに愛することであり/病患とは美しい肉体のより肉体的な劇であり/絶望とは生活のしっぽであってあたまではない/きみの絶望が希望と手をつないで戻ってくることを/きみの記憶と地球の円周を決定的にえらぶことを/夜の眠りのまえにきみはまだしらない
「氷った焔」10 清岡卓行

世界とはなんだろう?眼とは何だろうか?口とは何?この手はどうして出来たのか?役立つとはなんだろうか?しかし身体の役割を忘れた時にも体は動いている。また役立つということを忘れた時ほど人に必要とされ役立っていることが多いのではないか。この地上で小さな生活を信ぜずしてどうして地上の大きな世界に向かうことができるのだろうか。しっぽの生活と頭の世界とはうまく結ばれている。この小さな歩みを信ぜずしてあの大きな42.195の走りにつながる筈はない。普段まじめに考えてないので、物事をつめて考えているとしまいには笑いが込み上げてくる。どうしようもなく根が不真面目だこの俺って。だからきりきり舞い日はまだ続くのだろう。だからこそ、まず隗より始めよ 。

"Running is the greatest metaphor for life, because you get out of it what you put into it." (Oprah Winfrey)
"走るということは、もっともすぐれた人生の喩えでしょう。何故なら、あなたが注ぎ込んだ分をあなたはそこから取り出すからなのです。" (オプラ・ウィンフリー)

歩きに走りに意味があるのかは、わたしたち一人ひとりに掛かっているのだろう。どう走りから何を引き出すかは私次第だ。