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“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

うれしき瀬・からだのこと

  • まえおき

SNSやFBに「今」気づきたことを手短に書く、それも有効だと思う。しかし、そんな日常にあって絶え間なくどこからとなく僕に発せられた来た通知(notification)。「言葉には、今という『ファースト・ヒストリー』だけではなく『スロー・ストーリー』を見失うな!」というメッセージだった。それは行きつ戻りつの言葉、われわれに大切なものは何かという問いただし。
分かっていた。でも時間に感けてそれ(スロー・ストーリー)を見失っていた。3年と指折り数えて8ヶ月ぶりのブログ投稿です。過去に戻るのではなく(再開や回帰ではなく)新たな気持ちでブログを始めようと思って、はてなダイヤリーからはてなブログに移行しました。昔の記事は今読むと穴があったら入りたいくらいで消したいくらいですが、でも真っ新な自分などいるわけないから、以前の文章そのままです。自分が急変した訳ではないので今までと同じ雑文駄文です。どうぞよろしくお願いします。

うきにもうれしき瀬はまじりはべりけり とて 源氏・柏木
(つらい思いのなかにも、うれしく思う点がまじっておりました)

ひさしぶりのブログ。光陰矢の如し。この12月から2ケ月間休職して放射線治療に専念しています。謂わば自分修復ステップ期間。今日で一週間です。

それにしても、からだの諸器官は其々がつながっていて、八月からの薬物療法で肝臓の負担があり自ずとお酒も控えめになるんですね。まだ二週間くらいでも結果睡眠は質のいいものになって寝起きが良くなりました。快眠。あんなに誰よりも好きだったお酒、それがなくても平気になるとは変われば変わるものです。こんなことをいけしゃあしゃあと言うとは、これは「転び」そのものですね。でも、この前に近くの丘の落ち葉を踏みつつ歩いていたら森の明るさに気づいたのです。そうか、夏鬱蒼としていた森の木々は葉を失ったが、いま森は明るくなって光でいっぱいなんだ。なくなって見えてくるものがたくさんある。健康を失っても次のことが私を満たしていると実感したのです。前に進もうって。

兎も角、一歩足を踏み出すと(かつて歩くこと立つことさえ出来ないこともあったのですが)、足だけではなく次にからだの他の動きが相互に連係し統合される。まさにその一歩一歩、一挙手一投足は、身体の動き全体の肌理・表情そのものです。そこにもうあらたな光が射し込んでいるのでしょう。
この現実の中で無理のないところで自分自身を押し出す。この統合された促しは何?見えないことは未知*1でしょうがそれは次への手がかり。年老いてもこの時われわれはおのれの可能性を見出そうとします。少しでもそうありたいとこころの健やかさを願う今日この頃です。さまざまなことがあっても、うれしく思うこと楽しいことがまじってきました。

今聞こえてくるフィンランドのピアノ名曲集
ヘイノ・カスキ:夜の海辺にて、オスカル・メリカント:ロマンス、レヴィー・マデトヤ:子守歌
ピアノ:リスト・ラウリアラ
このアルバムのURLhttp://ml.naxos.jp/album/8.551047

*1:成長とは、未知を認めること 「走りながら考える」p67 為末大