Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

海辺

f:id:Emmaus:20180409100841j:plain

久しぶりに生田緑地をあるいてみた。桜の花はもう散っていた。小高い丘を登ってもなぜか海辺を感じる。海に行って一週間が立つが、海と山どういうつながりなのか分からない。
浜辺に打ち寄せる波と大空。時間と空間。
 そうだ、これからの僕には、「ゆっくり」と速度を落とすという時間の余裕よりむしろ「ゆったり」とした空間の余裕が必要だ。
 
加齢とは、生命のはじめからおわりの全生涯の変化をいうが、老化は成長のピーク後の退行期の変化を指す。エリクソンの発達段階説の65歳以降は、発達課題として統合感の獲得の時期であるが、同時に認知症が生じるデリケートなプロセスである。
成長とは一般に発達における外面的量的に増大する変化を指す。しかし、それだけではない。それには内面的な価値と意味を豊かにする質という大きな要素がある。統合感には、自分らしさという量より質を必要とされるからだ。
 
時間や空間は共に「間」という数値で表すことできる。しかし、「ゆったり」という広さの「間」の数量は質に及ぼす効果がある。量に対する省エネの余力が質を高めることになると思われる。もうそろそろ僕にとってはゆったりとしたことが必要な時期に差しかかっているのだ。
 
風が強い。風は大気空間における気圧の高低の差で生まれる。やはり、海という自然はいい。素直に自分を整えてくれる。また時間を見つけて行こうと思う。