Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

有田・西山のコーヒーカップ

何気なく棚から取り出したコーヒーカップ。もう四十数年の歳月が経っている。江戸川の平井の時代、よくかよった可否茶舗 儚夢亭。その店主Mさんがぼくの転任祝いに譲ってくれた有田西山の小ぶりなコーヒーカップ。まだ宝飾の仕事をやってた頃で、その腕が半人前だったから朝から晩まで夢中で専念していた。熱意というものには、単純で明解な目的と動機があるというが、果たしてどうだったのか今からするとわからない。とんでもない思い違いだったかもしれない。目はいつも充血していた。宝飾やデザインにほとんどの時間を費やしたのは確かだったし、それで結果はある程度の仕事ができるようになったのも確かだった。 仕事から帰っても自分の造りをやっていた。モルタル造りのアパート住まい、夜遅くまでヤスリや糸鋸の音がするので、住人からはもしや爆弾でも作ってるのではと噂がたち怪しまれてた。笑ちゃうけどね。

普通ならコーヒーは一杯、夜更けについおかわりをして眠れなくなってしまった。 Mさん、相変わらずおれだめだなー。いつも一つのことにとらわれて周りが見えなくなる。思いに耽てその思いにながされちまって。たまにはそれもありだとMさんは言うだろう。Mさん、先にいっちまって。会いたいな。

五年前一度お店に行った。奥さんのY子さんが続けていた。成人した息子さんは写真家になったという。この次は彼に会えるだろうか。Mさんはロクロクの写真機だったな。そうだった。