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“だれ一人自分のためにだけ生きている人はいない”

何もないところに変化は起きない -記憶のあやとり-

記憶を辿ろうにも以前のことが思い出せない。年とともに記憶が薄れて来たのだ。通常、認知症は短期記憶が衰え長期記憶は大丈夫なのだが。

記憶が薄れるなかでも、この時われわれはおのれの可能性を見出そうとする。年老いてもなお、それはけっして自分にたいする執着ではなく。

ここに一本のストリング(紐)がある クロスすることもないサークル(円周)としての一つのループ 単純な結び目の形 結いの紐  その環が 指で繰り返し織りなす形象となって示される

結ぶ 括る 手にかけて指で支えて そうしてきみに渡す きみはどうする?  取って 外して またくくる 記憶の縁どり あるいは 記憶の見取り
世界あやとり紀行−展・わたしたちの記憶 2006-12-01

このあいだのクリスマスに、そのブログを書いた2006年と同じ年のワインを手に入れた。もうすぐ熟成にはいるものだ。サルジェ・ド・グリュオ・ラローズ。あのトーマス・マンの「魔の山」の冒頭に登場するグリュオ・ラローズのセカンド・ラベルだ。

それを一日で飲み干した。14年の歳月をたった一日で。丸みのある深い味わいのあるワインだった。 ワインを飲み終える頃にやっと思い出が記憶のあやとりとして蘇り出した。

成長と衰退。進化と退化。その過程にある破壊と合成。 何もないところに変化は生じない。だが変化はあっても衰退と退化が多くて成長と進化が追いつかない。

生物は、つねに変化する。あるいは分化する。 この〈今〉というグランドで、順境のうちに豊かになる生命の力もあれば、逆境のうちに飢餓を乗り越えようとする生命の力もある。

  • 順境(めぐまれた条件で物事がプラスに働く境遇)
  • 逆境(めぐまれない条件で物事がマイナスに働く境遇)

生命には始まりがあり終わりがある。この〈今〉は、始まり(発生)と終わり(終末)という時間。それは今という点の連続した線ではなく、空間に漂うように、過去と未来が、始まりと終わりが飛び交い、あるいは遍在して浮かんでいるのではないか。そう感じる。

その発生から終末の変化の価値と意味は、プラスの成長だけを肯定し、マイナスの退化を否定するわけにはいかない。 なぜなら、 この変化とは、入れ替わるということだから。

本来変化とは入れ替えなのである。 「オートファージーの謎」水島昇p28

成長であっても衰退であっても、順境と逆境という個々人の遭遇する、各々の変化に夫々に意味と価値を見出すことこそ、つねにわれわれに与えられた課題であるのだが、始まりも終わりもない世界、変化も入れ替えもない世界が何れくるのだ。覚悟は出来ているはずなのに、気づくと指がこめかみを強く押し当てているのは何故。おいおい、大丈夫かと笑ってしまった。

様々なことが過去という記憶の縁取りの枠に収まりかけて、やっと本当のことを語り出せる頃になって、衰退と退化のみが進み思い出もなくなるのだろうか。

今年で71歳。もう忘れるものはしょうがないと諦めつつあるが、もう少し自ら、記憶のあやとりをやり続けようと思う。間違いだらけの時をすごしたが、失敗してももう後悔しないことをやっていこうと思う。敵は前からではなく、不意に後ろからやって来る。いやさらに敵は自分の中にあるのかもしれない。しっかり用心せねばならない。