Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

定義・経験・思想

定義とは何んだ?・・・

Aというものがあって・・・Aの定義とは、様々な条件の中でAが他との関係においてAの様々な特徴からもっともAの本質と思われるものを導き出して証明するだろう。

で・・・惑星という定義はどうだろうか。それは以下の三つのことで定義されるようだ。

  • つまり太陽の惑星とは・・・
    • 太陽の周りを回るものである。
    • 十分大きな質量を持つために自己重力が固体としての力よりも勝る結果、つまり重力平衡形状(例えばほぼ球体状)を持つものである。
    • その軌道近くから他の天体を排除した天体である。自己同一するものである。


しかしどうだろうか?定義とは・・・そのように一定の事を外延の出来事として対象として捉えるより、わたしが情報の数量の客観的な見取ることよりも・・・むしろ、情報の量ではなくわたくしがわたくしの時を経て来たという流れの全体を見通す裡に、自分の質の第一のものとして捉え直すことの方が重要ではないか。

というのも自己の内面において、様々なものが収束しながらあるコアな質として形をなすようになるものがあって・・・。それは自ずとわたしの全体を<体系とする>よりも、もっと事態のまがうことない時自体の現実の先端に触れるいることを基として<編集する>ものとして思われる。

過去はある意味で常にリアルに今も更新されているわけだが、もっとわたしなりに云うと・・・定義とはオノレと他との結び目を確認すし、そのくり返しの事態そのものがわたしそのものを定義するということだろう。つまり、新たな事態が起きる時に、新たなる定義を促されるということになっていく。だからこそ、帰納的であってはならないと森有正は云うのだ。

その森はかつて二十年ぶり*1に日本の大学の若い学生*2の前に立って講義を始める草稿で(経験と思想を題目として)こう云っている。

本稿は人間が「人間として」生きる態度をいかにして確立するのか、という問題の、わたし自身の、またわたしなりの探求である。
岩波書店 「経験と思想」p7

だが単なる過去の事実の集積が現在という時の先端に触れがらオノレを<編集>するというイメージだけではないだろう。可能性という現在から先に拡がるものは、わたしが自己内に結実するというものではなく、もっと進んで他者と開く未来の内に肯定されるものであるのだから。定義のことをもっと云うと、他者において自分の現実をしっかり受容してそれを背負い切るものだと云った方がよいのだろう。
このことを森は

要するに・・・人間が個人として、また社会を構成して生きている事実を「経験」が成熟して「思想」に到る一つの実存過程として内側から把握したいと考えている。

と述べている。

ではそんなに強い者、背負い切ることが出来る者だけが自分を自分らしく生きることになるのだろうか。つまり弱い者はどう人間として生きることが出来るのか。自由とはカリスマを担う者登高する者だけが行うのだろうか。

だがどうだろうか。様々なものが変化をしてわたしをどんなにも波打とうとも、手を離すような意識の弱まる中でも時を経ながらも今ここにあるビリビリとした感情が何故だかわたし自身を置き換え難い重みと軽みをもって、どうなろうともわたしを整えてくれることがあったという経験を皆それぞれに知っているのではないだろうか。このことも、わたしにカリスマが無くとも他のものと強く結びついて、現実の先端に触れて自らの第一のものとして定義することだと云えるのではないだろうか。

因みに森の話は今より四十年前の話である。まだ武蔵野には未舗装の泥濘の道をバスが通り、どぶ川や野原が多く夕方にはイタチなどがよく見られた頃の時代のことである。

*1:1970年

*2:東京三鷹にある国際基督教大学

永瀬清子・あけがたにくる人よ

永瀬清子という詩人をご存じだろうか。岡山の在の詩人だった。「トゲありてこそ汝はバラ」という言葉を残された。かつて宮沢賢治追悼会に出席した中で「雨ニモマケズ」の最終稿の発見にも立合われたという逸話があった方。書けぬ時を耐えて御年81歳の時の1987年に《枝》として、鋭敏で潤おしい感受性で、新たに自らを拓き詩集「あけがたにくる人よ」を世に出された。彼女は生きることを《枝に着いている間》と述べていた。わたしがこの詩集に出会ったのが20年前。あれからどんどんわたしは変っていったのに、彼女の言葉の《枝》に触れる度今も初めのときめきの鮮やかさは褪せることはない。みせびらかす詩でなく、言葉だけの詩ではない。それほど「自分を削りとって来た」詩なのだと今にして痛感する。

私の洞(ほこら)に棲む老いたる鬼女は 冷たい霜の朝に咳(しわぶき)ながら / 朝日と苔のあいだにみえかくれする 
「老いたるわが鬼女」より

  • 序詞
  • 第一章 あけがたにくる人よ
    • あけがたにくる人よ
    • 古い狐のうた
    • 小さな水車のように
    • その家が好きだった
    • 老いたるわが鬼女
    • 黙っている人よ 藍色の靄よ
    • 若さ かなしさ
    • 紫パンジー
    • お茶の水
    • 昔話
    • 私と時計
    • ピーター
    • 昔の家
    • 老いるとはロマンチック
    • 苔について
    • 縄文のもみじ
  • 第二章 女の戦い
    • 唇の釘
    • 八月の願い
    • 夜ふけて風呂に
    • 雨雲ふかく
    • 古事記
    • 私の豆の煮方を
    • 毛の房のなか
    • 私がいなければ何もない
    • 女の戦い
  • あとがき