Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

二重の無限性

マキシマムにおける無限性とミニマムにおける無限性

事物の周囲をつつむよりは、その中心へ達するほうがはるかに可能だと、われわれはおのずと考えている。世界の目に見える広がり(大きいもの)は、目に見えてわれわれを超越する。しかし、小さいものは、それを超越しているものがわれわれなのであるから、われわれはそれを所有するほうがはるかに可能であると考えている。しかしながら、虚無に達するためには、万物に達するのと少しも劣らない能力を必要とするのである。そのいずれに達するためにも、無限の能力が必要である。そして、もし事物の究極の原理を理解した人があるとするならば、その人は同様に無限を知ることに達したであろうと私には思えるのである。一は他に依存し、そして、一は他に導く。これら両極端は、相遠ざかるあまりに相触れ、相合し、そして神のうちに再会する。しかもそれは、神のうちにおいてだけである。

パスカル「パンセ」より