Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

プロメテ

《プロメテ》 シモーヌ・ヴェイユ

孤独の獰猛なけだものが、
腹の中で絶え間なくその身を責めさいなむもののために、むしばまれ、
疲労にふるえながら走り回っている、
死によってしか逃れられない飢えから逃れようとして。
そのけだものは暗い森を横切って食物を探し、
夜がその影をひろげる時には何一つ見えず、
岩のくぼみに住んで、死ぬほどの寒気に打たれ、
成行きまかせにしか抱き合い交尾することもできずに、
神々に苦しめられ、その攻撃の下で泣き叫ぶ----
プロメテがいなかったら、人間よ、お前たちはこうなるだろう。

創造者であり、破壊者でもある火よ、芸術家である焔よ!
火よ、夕空の微光を受け継ぐ者よ!
曙の光があまりにも悲しい夕暮の只中に昇る。
優しい暖炉は人々の手を結び合わせた。
畑が焼き払われたやぶに代わって場を占めた。
固い金属がどろどろの溶解物の流れ口からほとばしり、
赫熱した鉄がハンマーに打たれて曲がりしなう。
屋根の下の一つのあかりが魂を豊かに満たす。
パンは焔の中で果実のように熟れる。
プロメテは何とお前たちを愛してくれた事か、こんなにも美しい贈り物をするために!

(プロメテ 第1・2連)

訳 小海永二

 かつてシモーヌ・ヴェイユはスペイン市民戦争に参加し負傷し、イタリアで自らのキリストの臨在を体験している。1937年である。その夏、聖フランチェスコの故郷アッシジに赴いた旅先で友に手紙を送った。「今この時若い時の詩への使命感が甦っている」と。ゼウスの怒りによる極刑を受けながらも、鷹に肝を食われながらも人類に火を与えたギリシャ神話のプロメテウスを題材に詩《プロメテ》を作り、ポール・ヴァレリーに送ったのだった。
プロメテウスをイエス・キリストの受難に思い巡らせながら。
ポール・ヴァレリーは手厳しい詩形の忠告や〈教育的でありすぎる〉と欠点を示しながらも、彼女の詩の緊密さや動きの力強さを上げて「構成への意志」を称揚したのだった。