Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

命の霊

わたしたちは霊によって新たにされる

わたしたち

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、眼に立つように来るものではない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。神の国は実に、あなたがたの内(間)にある。」(ルカ 17:21)

霊によって

命の霊の法則において、キリスト・イエスが罪と死との法則から解放したからです。 (ローマ書 8:2)

新たにされる

「あなたがたの精神とも心とも呼ばれる霊において新たにされなければならない」と聖パウロは言う。
"and be renewed in the spirit of your mind" Eph 4:23

Eph 4:23
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十字架のキリストと結ばれたボクたち。その彼の「死」の内に洗礼を受けた。そうしてボクたちはキリストがそのように死者の中から復活させられたように、洗礼によって新しい命に生きる。ボクたちがキリストとともになってその死とひとつになるなら、その復活にも同じものとしてボクたちもそのようになると。古いボクたちを十字架に。十字架につけられたのは罪にある体が取り除かれ、十字架に死んだボクたちは罪から解放されるものとなるように。一度罪に対して死なれたキリストが生きておられるのは神に対して生きているから。そのようにキリストに結ばれて新たに生きる。(ローマ書 6:1-11参照)
精神的形相、あるいは形相的「像」(イデア)のいれものや宮と名づけている最初の魂の領域がある。その領域は「力」ともいわれている。
さらにボクたちが鉛筆で机をなぞっていく。カサカサとキミとボクとボクたちに。魂の容れものに今日もまた新たにさらさらと更新していく。ひそやかに。