Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

音たちの開明

未完のイタリアン・アルバム

未完のイタリアン・アルバム

在ることの可能性 【グールドに寄せて】

今にここに動きがあり 方向と力のベクトルがある 集合の連なる面のサーフェイスに顕れて然りとする響きと音たちよ それらにおのれが立ち向かうのではなく 寧ろその内にあって そのことを自らがあることを了解と決断しうるということ
今もまだ動きと響き自体に柔らかな深度を与えながら「生きる」という焦点に絞り込んでいることだけは怠りもない 新たな音の層を更にレイヤードを臨んで 一瞬音の軌跡の位相を辿る
音たちを対象化するとその時動きを止め 朝をシフトしドライブする

そのことを自らであることの了解と決断を可能とする音たちは私自身であると言えるのだ まさに音の中に私が生きている
私はこの自らの相貌を観ることが出来ないようとおなじように 音たちそのものを私は観ることはないのかも知れない