Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

待ち望む

今日の主日をむかえてローソクに灯りが三つともった。「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。ヨハネ 1:26」

今でこそ聖書を開くことがあたりまえ。だが何と昔は・・・

カトリック教会では、一般に聖書をあまり読まない傾向がありました。ある時期には、信者の人は聖書を読まないようにとさえ、指導されてきました。それより「公教要理」といった本をちゃんと読むようにというふうにいわれてきました。
・・・旧い信者さん方はご存じでしょう。「神の存在しますか? はい存在します」「神はお一方ですか? はい、全知全能の方です」。こういった形の問答になっていました。・・・
・・・第二ヴァティカン公会議で、「啓示憲章」という文章がありますが、その中でもう一度聖書というものを信仰の中心に据えることを勧めています。

エスとその福音(p16) 岩島忠彦著

そんな時代もあったのだね。それから40年の間、「聖書学」の成果などの様々な聖書や教えに対する努力もあったそうだ。また今年9月には『啓示憲章』発布40周年記念して、霊的読書(レクチオ・ディヴィナ)」という伝統的な方法で、聖書と祈りを結びつけること提案(カトリック中央協議会)もあったようだ。
確かに聖書は決して分かり易いとはいえない。でも「聖書など読まない方がよい」というのは今の時代からは全然信じられないことだね。今までの教会の聖書に対する考えの移り変わりを思うと、降誕節を前にして改めて聖書と教えについてボクらの信仰の中心で考えることはすごく大切なことだね。ボクらの信仰の意識の目覚めの内に。まったくさぁ待ち望むことのあったかい思いがどんどんしてくるね。善かったよ、せめて今で。