Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

フェルメールの光

松岡正剛の「フェルメール」についてのアーティクル。http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1094.html
先ずはルネサンスバロックが「光」をどのように見たか、またガリレオホイヘンスやフックがレンズで世界を見ることになった意味が何であったか、それによる世界観の表現の仕方を変えたかということも語られなければいけないのだが・・・。「光を見る」のだが、ファン・エイクのサン・バヴォンの聖堂のゲントの祭壇画では光に耳を傾け、「光を聴いている」。

レンブラントが『夜警』(1642)に代表されるような"集団肖像画"を考案して、いわば絵画を劇場的な照明世界に仕立てたのに対して、フェルメールは生活照明の一隅を描いたのです。・・・このレンブラントの劇場照明性とフェルメールの生活照明性のちがいは決定的でしょう。(松岡)

恣意性と忠実性の対比。ボクらの前に立ち現れる「光」。そこにいるボクら。

フェルメールはまさに「光学の驚異」に忠実だったということです。(松岡)

それにしても人は誰もおのがトポスを背負っているのだ。その場からそこを乗り越える。

そう言えば何時だったか?「オランダの光」という映画を観た。あらゆる角度からオランダにおける「光」の謎を明かしてくれたのだった。http://www.cetera.co.jp/library/holland.html