Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

預言者風刺画問題

fenestraeさんが今回の預言者風刺画問題についてのフランスのジャーナリストたちの行動を解説されている。2006-02-09 - fenestrae

欧州全般については私の知識の範囲を越えるが、少なくとも今回のフランスのジャーナリズムの中での対応に関し、フランスの政治伝統と現在のフランスのメディア、言論界の状況の文脈の中で、人々がぎりぎりの選択によって行動しているということについて、恐らく多くの日本人に十分に理解されていない部分があると考えるので、以下に解説を試みる。

ブログの内容はル・モンドリベラシオンあるいはフィガロの社説などで代表される立場を、fenestraeさんなりの背景観察で敷延されたものである。
問題のボクらの理解は深まる。一方現実はこの事件をめぐってもう幾人もの死者が出ている。知るということ。述べるということ。表現するということ。理解するということ。現実ということ。さらなる悲惨。主と客の絡まる現実。企投と被投。
確かにデンマークから事件は世界に飛び火した。だが預言者風刺画事件の「言論の自由」や「宗教の尊厳」の問題が今回のデンマークで起きた具体的な文脈から離れ、それぞれの国のマスコミ等の事情で「言論の自由」や「宗教の尊厳」がそれぞれの文脈で語られだすと、かつ事実の正確さを知る精度が落ちていき、結果当初の事件の本質から反れるおそれがあるのではないだろうか。(無論「言論の自由」を語ることの意味は否定はしないが)あるいはfenestraeさんのブログの話から逸れるけども、今回の問題を単に民主主義における「言論の自由」等にと一般論として敷衍する考えも見うけられるが、かえって今回の事件の核心が見えないことになりかねないと思うのだが。
どの文脈で言論の自由」や「宗教の尊厳」を語るのかは大変大事な要点である。そして、あの日のところに行ってみた。流れと枝 - Emmaus’