Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

聴くことと述べること

ある事柄が話し手の歴史や経験であったとしても、聴くことは結局聴き手の自らを語ることでもあるのだ。「何が聴けたか?それが何なのか?」。様々な発話情報のタグやメタの述定の関わりを読み解きながら、生き生きとした発話者の空間に聴取者も招かれてそこに居ることになる。

karposさんが興味深いこと、聴くということ - 新生★KARPOSを書いている。

それで・・・
二年も前のことであるが、「こころの時代」というTV番組があって、そのテキストの始めに講師をされた雨宮神父が述べられている。

語り継ぐとは自分の体験を付け加えて、次世代に受け渡すことなのです。ヘブライ大学の歴史学教授でもあるある学者が講演の中で、「最後の審判で神から受ける質問の一つに『あなたは伝承になにか新しいことを加えたか』があるが、それに『はい、加えました』と答えなければ、罪を受ける」と言われたのを聞き、驚くと同時に強い感動を覚えたことがあります。・・・伝承が体験と結びつくことがなければ、単なる言葉のままで終わるし、逆に体験が伝承と結びつくことがなければ体験の意義を深めることは出来ません。伝承と体験がひとつに結び合わされるとき、どちらも価値ある生きたものへと変貌してゆきます。

みんなの中におのれを見出し、おのれの中にみんなを見出す。