Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

子規・振幅と気魄

六月の頃からポツリポツリと行きつ戻りつ、子規の「筆まかせ抄」を読始めて、彼の死の前年から表わされた「墨汁一滴*1」「仰臥漫録」にどうやらこの十月に辿り着た。http://d.hatena.ne.jp/Emmaus/20060620/1150848862

その当時、彼はすでに左右の肺は大半が空洞の重病人であつたといふのに、それにしても子規といふ人は何て「大メシ食い」なんだらうか。仰臥漫録には随所に三度の食事の献立を判で押したやうにその詳細を書ひてゐる。

ある日、彼は「精神やや静まる されど食気なし」と書ひておきながら
朝小豆粥二わん 午後さしみ 飯一わん 晩 粥一わん ぶだう レモン
と書ひてある。

またあるところでは、間食に牛乳五合とココア湯、菓子パン小十数個、塩せんべい一、二枚とあるのだ。この量には驚くしかないだらう。

病状を縷々述べる訳でもなく、ただ日常を食事と間食のみを書き留める単調さがどことなく次第と不気味にさえ感じられてくるが、これは強ち読者の穿つた見方でもないだらう。

その合間にも、子規は芭蕉の「五月雨を・・・」の句の「あつめて」といふ語がたくみがあつて甚だ面白くないといふことを書ひてゐる。その一方、蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」の句を褒めている。また同じく芭蕉の「あら海や佐渡に横たふあまの川」などはたくみもなく疵もないけれど明治のやうに複雑な世の中になつてはこんな簡単な句にしては承知すまじ、と子規が「時代としての表現」を論じてゐるは全く正鵠を射るものだらうし、「霧ながら大きな町に出にけり」田河移竹の趣を(世の中の)解せざる者多し、とも子規は書き記して居る。

どこかに健やかさといふもの自体が幻のやふに浮かび上がつてしみじみとして来るが、記録を綴ることへの飽くなき行為、人間の性情の振幅という子規の気魄に何時しか痺れてしまつた。しまいには気韻といふことはこんなことなんだと思つてしまう。造作のない逞しさが健やかさを支えてゐる。子規はとてつもなく余りにも健やか過ぎる巨人といふしかない。

*1:正岡子規 墨汁一滴(青空文庫