Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

正木ゆう子・静かな水

朝、テーブルの上に何気なく一通の葉書が置いてある。この春、北の方に着任した友人からの便りだ。「これ?」と葉書を振ると、「あら。昨日朝、あなたに言ったのに。届いてますって」とカジンはつっけんどんに訝しむ様子。葉書の裏を返すと余白に

やがて真中を通る雪解川 -ゆう子-

とある。正木ゆう子の句集からだ。へへへぇ、なるほどカジンが妬いてる。あいにく友人の名もゆう子という。その遠くにいった彼女はかつて正木の句集をよく持ち歩いていた。かの地の春の雪は彼女にとってさぞかし新鮮で面白かろう。

陸にある秋のボートに乗つてみし
水の地球すこしはなれて春の月
オートバイ内股で締め春満月

食事を終わるや本棚から句集を取り出してみた。言葉に凭れ懸かりがない。それでいて爽やかな緊張と密度がある。言葉を言い尽くさず柔らかに感覚を立ち上らせる。あまりによすぎるぞ。見なきゃよかった。

なるほど。女はいのちを世界を自分の真中に見ているのか。ならば、われら男どもはそれを見ずしてどこぞの向こうにいのちを世界を中心を目指して求めているのだろう。「すこしはなれて」とは男と女の埋められぬ間合いだ。もう少し互いにまったり!してもいいのではないかと思ったが、これはいつになく句の言葉に、いままでの自分の思いが何か凌がれ羨んでいるからだろう。
「おい。どうして北にいった!」とボクは友だちにちょっと妬いている。