Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

はじめて撮らえるときのように


とことんある主題を追うのではなく、掘り下げることでもなく。ナダラカに見えてくるものたち。こちらが行くのではなく、逃げることでもなくより放棄にも近い不在。だからあるイメージではない。脅しではない、いや脅しかもしれない。悟り?それって! たぶん私が対象を覆う!のではない。細部がこちらの私を一瞬にして覆うのだ。もしそうならば分かる(知る)ことより展開もせずよりもっと<私>より遠くにあるものでなけりゃ。その遠くが近しく(親しく)なる。どんどん近くなる。ものそのものが(あるいは人が)こちらに不意にやって来るものを捉える=撮らえる。あの<はじめて撮らえるときのように>シャッターを押す。

ある一つの細部が、私の読み取りを完全に覆してしまう。それは関心の突然変異であり、稲妻である。ある何ものかの標識(しるし)がつけられることによって、写真はもはや任意のものではなくなる。そのある何ものかが一閃して、私の心に小さな震動を、悟りを、無の通過生じせしめたのである。
21悟り 「明るい部屋」p63 ロラン・バルト