Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

撮らずにいられない

せめてゲームを終わらせて - 記憶の彼方へへのRE

人には夫々に辿る道があるように夫々の写真への考え見方がある。それを一つにしないでクロスしてみる。

人生いいこと二つァない

だからわたしの好きな写真とは敢えて一言でいうと、被写体の価値自体にすり寄らないもの。

美しく、めずらしく、貴重な被写体であっても、対象の価値によりかかりすぎたものに心をうつ美しさや感銘を得ることはない。うちに秘めた対象との言葉を大切にしたいと思う。私は脱複写、脱複写と念じながら撮り続ける。植田正治

地図を描くように

またわたしにとっての写真はその被写体から受けたわれわれの情動の上澄みを掬うことではない さらに自分が安全な殻を先ず確保してその殻の中にいて小さなの穴から外を覗くことではない わたしにとってカメラで撮るとはこちらを晒しながら動く自分をふくめたあらたなる地図を描くこと わたしが構成して構成される だから窓でなくFinder 脅しではなくいや脅しかもしれない 旅に重い荷物は不要だ だから軽く小さなもの 可能な限りのつまり足し算より引き算 金がないから 放棄にも近い不在の実在 遠くが近しく(親しく)なる レギュレーションの更新を繰り返すより向こうの細部がわたしのこちらを一瞬に覆う時 それがこちらに不意に来る しめた 魚が餌に飛びつく あの<はじめて撮らえる>シャッター音 それって練習?旅に練習なんかあっただろうか 今が本番でなくいったいいつ本番がくるの 失敗をおそれない だから練習などあり得ない ピンぼけ多いにけっこう 未来の行くつく先は愉快な日々かはたまた絶望か ほんのちょっとしたことで一日を台無しにすることがある 気持ちを宥めるためにゲームで気晴らしするのもわるくない

記憶と記録への挑戦

描写 それは見ることであるし書くこと読むことでもある 言葉以前としての記号 それは点であり線 爪で引っ掻く一瞬の記録と記憶のクリップボード 確実な宛名のあるラブレター ジーパンのケツのポッケに入れた文庫本 図書館で開いた宮本常一の膨大なフォトグラフィ ルーシー・リーの器 心身のあちこちに束ねたメモ 貼付けたポスト・イット 共時とラップするtwitter(囀り) 時を巡らしスクロールする長い長い時の流れ 集成するという長い息づかい 色彩の鮮やかさの向こうにある光と黒あるいは陰 山本弘の書 エトセトラ 描写の表現は あらゆる位置関係 点と線が占める位置とか空間 そのプロポーションレイアウト 言葉が示し示される地図の構成というデザイン 記憶と記録の交差する言語 だから知識や書籍などほんの氷山の一角

どんなものであれどんな時であれ 描くことはその人の生き方 だが生き方を売りに出してどうなる 表現の本質的な主体性とはなんだろうか それにわざわざキャンプションをつけてサインをしてどうするというのだ われわれは一人で生きているわけでない そんなネタで勝負するのか(他の人にお世話なるのか) 新しい布と古い布は併せて縫うことはしない 自分屋の商いは今よりもっとましなやり方を考えないといけない

以前引用した、ジャンルー・シーフの言葉。彼の商業写真は今でも好きだ。

写真は一杯に詰めこまれたバックににている。皆それぞれ自分のバックをもっている。幸せであった時、その人に愛を感じていた時。死んでいく時間を無理して止め、生き残らせる写真とは、何と滑稽なことだろうか。不死身であるはずの感動は、匂いを失い褪せていくのに、その瞬間を撮らずにいられない。写真は死だ。虫ピンで止められた蝶々です。ではあの夏はどこに行ったのです。あの羽はどこにあるのです。失われた激情を記憶しようとするそれは、嘲笑的な挑戦であるにすぎない、のかも知れない。