Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

音楽の語らい-この場に佇む-

われわれが時間や空間の中に「在る」と言うのは、時間や空間という森に「住まう」ことだ。もっというとそこに居ることを常に発見し続けること。わけてもこれは今(現代)のわたしたちの確かな情景を表しているのではないか。

セザンヌに「自然は描かれたようにしか見えない」という言葉がある。このように情景ということで確認して措かねば成らないのは、その情景が誰もが共通の冷静な情報に基づいているようで、意外と一人ひとりが熱い思いで「描く」ことに寄っていることだ。

中山さんid:taknakayamaid:tsuyokさんとあった。http://d.hatena.ne.jp/tsuyok/20101229/1293619835 音楽だけと決めていた訳でもなくで、自然にほとんど音楽のことだけを楽しく語り合った。一人ひとりが持つ言葉の由来と来歴、音楽の考え方には違いがある。語ることが同じでも違いはある。しかし、違いは否定の理由ではなく、むしろ互いの肯定の動機の切っ掛けなのだ。だから話を聞き入ると納得出来ることがとても多い。
立ち位置とは、考えの違いのポジションニングではなく、互いにこの場(空間と時間)に佇む、住まうかどうかということだ。中山さんがいみじくも「音楽はコミュニケーション。だから難しいし、多様だし、こうした繋がりもうまれる。」という言葉を残してくれた。これからも音楽の中に住まうことを発見し続けたい。このような意味での限られた時間には無限の空間が表出する。ブログには思考という回路が可能であると納得できた日でもあった。次回のサンサーンスのコンサートが楽しみである。

Talk about music. good time talking about music. good time